ホモソーシャルってどういう意味? – “男性同士の絆”と“男性の生きづらさ”について説明!
近年、フェミニズムやジェンダーへの注目はとても高まってきています。これまでは女性の問題として語られてきたフェミニズムやジェンダーですが、最近では男性の生きづらさをジェンダーの観点から紐解く動きも盛り上がってきているように感じます。
そんななかでホモソーシャルという言葉を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
ホモソーシャルとは、「同性同士の性や恋愛を伴わない絆や繋がり」という意味で使われることが多いですが、具体的にどのようなものなのでしょうか?また、ホモソーシャルな価値観と男性の生きづらさがどのような関わりを持つのでしょうか?
この記事では、
- ホモソーシャルの意味
- ミソジニー(女性蔑視)との関係
- ホモフォビア(同性愛嫌悪)との関係
- 男性の生きづらさと有害な”男らしさ”
についてマンガを併せて解説していきます。
ホモソーシャルってどういう意味?
ホモソーシャルとは、「同性同士の性や恋愛を伴わない絆や繋がり」を指す言葉で、イギリス文学研究者のイヴ・セジウィックによる1985年の著作『男同士の絆』によって広く知られるようになった言葉です。
Homoとは「同一の、同じ、同質の」という意味を持つ接頭辞で、ギリシャ語由来の言葉。ホモソーシャルは「同性同士による同質性を大切にした関係性」と捉えるとわかりやすいかもしれません。
いわゆる”男同士の友情や付き合い”に関して使われることの多いホモソーシャル。一見、特にネガティブな要素はないように思われますが、実はこのホモソーシャルな関係性は多くの問題をはらむものなのです。
具体的な例を見ていきましょう。
たとえばこれまで、次のように感じたことのある男性は多いのではないでしょうか?
- 会社の上司や同僚にキャバクラや風俗に誘われたけど本当は行きたくない
- 異性と付き合ったことがないことで、まわりからからかわれる
- タピオカや甘いものが好きだと言いづらい
これらの状況はすべて、ホモソーシャルな関係性でよくあるできごとです。
冒頭で、ホモソーシャルとは「同性同士の性や恋愛を伴わない絆や繋がり」と書きましたが、この一文からホモソーシャルの意味を理解する上で重要な2つのポイントが見えてきます。それは、ホモソーシャルな関係性がミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)を元にした”男らしさ”を共有することで成り立つ、ということです。
ホモソーシャルとミソジニー(女性蔑視)
そもそもホモソーシャルが「同性同士の性や恋愛を伴わない絆や繋がり」である、ということはホモソーシャルな関係性は「女性を排除することで成り立つ」ということでもあります。反対に言えば”男らしさ”を強調した関係性の構築が行われる、とも言えます。そこにミソジニーが現れてきます。
ミソジニーとは、女性蔑視のこと。女性であるというだけである人を劣っていると見なしたり「女性らしいもの/主に女性がするとされるもの」を下に見る考え方のことです。
他にも、女性を1人の人間として尊重するのではなく、モノとして性的に消費するなども女性蔑視の価値観と言えます。ホモソーシャルな関係性では、こうしたミソジニーを基にした様々な価値観が、”男らしさ”を図る基準となっています。
ミソジニーを基にした”男らしさ”の例としては、
- 女性を性的に消費する男性像
- 女性との性的な経験が多いことを優れているとする価値観
- いわゆる”女性らしい”ものは劣っているとする価値観
などがあげられます。これらの問題点は、女性を対等な人間として扱うのではなく「自分が異性愛者である/”男らしい”男である」ことを証明するために女性を手段(=モノ)として扱っているという点にあります。
だからこそホモソーシャルな空気の強い環境では、女性へのハラスメントや暴力が起こりやすくなってしまいますし、またこのような”男らしさ”の基準によって男性同士の中でもヒエラルキーが形成されることになります。そのことで、実は男性コミュニティのなかで生きづらさを感じている男性も多いのではないでしょうか。
ホモソーシャルとホモフォビア(同性愛嫌悪)
またホモソーシャルが「性や恋愛を伴わない」関係性ということは、ホモソーシャルな関係を結ぶために男性は異性愛者であることが求められます。ホモソーシャルの関係性で価値が置かれている”男らしさ”には「異性愛者であること」も前提されているのです。そのため男性同士でホモソーシャルな関係性を結ぶためには、自分自身が異性愛者であること(=同性愛者ではないこと)をことさらにアピールする必要があります。
そのために「自分は女好きである」と示すアプローチと、「ゲイをバカにする」と示すアプローチが取られるのですが、特に後者のものがホモフォビア(同性愛嫌悪)と繋がります。
いわゆる”女性らしい”とされるものを好む男性(メイクや甘いものなど)をバカにする風潮の他に、日常的に冗談として
「お前ゲイなんじゃないの?」- 「そんなわけないだろう(笑)」
というようなゲイいじりのハラスメント発言が横行しやすいのも、このためです。
「まさか自分たちがゲイなわけない」という前提をホモソーシャルの関係性内で維持し、異質な存在を排除しようとしているのです。
男性の生きづらさと有害な”男らしさ”
ミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)を根底に成り立っている、ホモソーシャル。”男らしさ”という言葉で表される男性像には「性的欲求を持つ異性愛者」であることがわかります。
「同じ価値観を共有し、同質性によって関係性を維持しよう」というのは、つまり「異質なものを排除する」ことでもあります。女性、同性愛者、そしていわゆる”男らしくない人”を排除することで成立する環境では、その空間や価値観に共感できなかったとしても違和感を表明することはとてもハードルが高くなってしまいます。一度こうした”男らしい”あり方から外れると、途端に「男として1人前じゃない」というレッテルを貼られてしまうのです。
当然のことですが、一言で男性と言っても実際には多様な男性が存在します。いわゆる”男らしい”とされる男性像の他にも、お酒を飲まない男性/料理やお菓子作りが好きな男性/人前で裸になることに抵抗のある男性など…。そしてもちろん、同性のことが好きな男性や、性的欲求・恋愛感情を持たない男性、女性を1人の人間として対等に見る男性も…。
きっと、これを呼んでいる方自身も、まわりの人々も、いわゆる”男らしい”だけでは表しきれないたくさんの要素を持っているはずです。いわゆる”男らしい”の基準で誰かの価値をはかることなど、できるわけがないのです。”男らしい”とされるものを今一度考え直す必要があるのではないでしょうか。
ホモソーシャルの意味まとめ
この記事では、
- ホモソーシャルの意味
- ミソジニー(女性蔑視)との関係
- ホモフォビア(同性愛嫌悪)との関係
- 男性の生きづらさと有害な”男らしさ”
という観点からホモソーシャルについて解説してきました。
近年、男性の生きづらさが注目されることも増えてきましたが、その一原因であるホモソーシャルな価値観について見てみると、そこにはミソジニーやホモフォビアが複雑に絡まっていることがわかります。
女性差別やLGBTQの問題は、「異性愛男性の自分には関係ない」と捉える人が残念ながらまだまだ多くいます。しかし、実はそれらの問題は誰にとっても他人事ではないのです。
誰もが自分らしく生きられ、そのことによって排除されることのない社会にしていくために、ホモソーシャルな価値観に自覚的になり、1つひとつを分解していくことが必要ではないでしょうか。