「長女」として育てられた私の話。芝生の上で男女がランチをしているイラスト。
「理想の長女」として育てられてきた主人公・ゆかは、家族から「女の子らしさ」や「長女らしさ」を押し付けられることに違和感を抱きながらも、声をあげられずに10代を過ごし、大学生になります。今なお根深く残る家父長制的な価値観が個人の生き方に及ぼす影響について、あらためて考えさせられるエピソードです。注意。性に関する自己決定への無理解など、過去の体験を想起させる可能性のある描写が含まれます。
主人公、ゆかのモノローグ。私は幼い頃から「長女」として、家族の言うことを正しいと信じて育ちました。ゆかの母 「ゆかちゃんはお姉さんだから我慢できるよね」ゆかの祖母 「女の子なんだからはしたないことはやめなさい」「お嫁に行けませんよ」
がまんは「いい子」の証で、「私がしたいこと」よりも「いつかお嫁さんになるための女の子らしさ」が重視される。当時は「どの家もきっとこんな感じなんだ」と思っていたし、「理想の長女」でいられることに誇らしさもあったのかもしれません。
でも中学に上がった頃から、両親たちが押し付けてくる「女性像」に違和感を覚えるようになりました。クラスにてかっこいい女性が活躍するマンガをおすすめしてくれるクラスメイト、それを家でこっそり読んでみる主人公。
ドアが開く音「ガチャッ」「ただいま〜」と親の声。はっとして慌てて読んでいたマンガを教材の後ろに隠すゆか。しかし、これまで「言うことをよく聞く長女」として育てられてきた私にとって、親に反抗するなんてありえないことでした。
そして私が歳を重ねるごとに、家族からのプレッシャーはどんどん強まっていき…、家の外に居場所を求めていた私にとって、恋愛が重要な逃げ場所になっていました。
ゆか、トイレにて「生理来ない…避妊失敗したかも…どうしよう…」と不安になる。性について適切な知識がない状態でお付き合いをしたこともあり、病院に行くか悩んで親に相談したこともありましたが…。母親に相談してみるゆか。
ゆかの母「婦人科?若い子が行くところなんて、誰かに見られたらどうするの?そんなふしだらなこと言わないで。聞かなかったことにするから」母の影が大きくゆかを覆っている、威圧的なイラスト。
結局そのときは妊娠していませんでしたが…自分の身体のことで病院にくのは恥ずかしいことなのか、とショックを受けましたし、不安なときだからこそ頼りたかった「家族」という存在に寄り添ってもらえなかったこと、そして私にはまるで意思がないかのように接し続けてくる家族に、嫌気がさしていました。そこからしばらく年月がたち…。
友人女性A「ゆか!おつかれ〜!」ゆか「わ!」大学に入って一人暮らしを始めてからは、家にまつわる役割ではなく、私個人として接してくれる友人たちに巡り会え…。友人女性Aの他に友人男性B、Cがいる。
実家にいた頃よりは自由になれたような気がしています。4人で大学の芝生でランチしているイラスト。特に今も仲良くしている3人は、「長女」としてではない私のいいところをたくさん見つけてくれました。
私の家族に根付いていた家父長的な空気は、「女性の幸せはよき妻になること」という価値観の押しつけ以外にも、今もまだ社会のあちこちに残っています。「家父長制」と書かれた家マークから様々な事象が生まれているイラスト。制度、「妻が専業主婦であること」が前提な配偶者控除。メディア、「理想の家族像」の限定的な表現。家族、子どもの頃は親に、結婚したら夫に従うべき。社会、性教育の欠如、女性が性の話をすることのタブー視。職場、女性は育休を取って当たり前という風潮。などなど…。
私の家族、特に祖父母の時代には、今よりもっとその風潮が強かったのだと思います。だからこそ、自分たちが持っている「幸せの形」を信じ、それに沿って子どもを育てることにも疑問を持ちづらかったのでしょう。「幸せロード」と書かれた道に主人公を引っ張っていく母や祖母のイラスト。
母、祖父母「普通に結婚して、普通に子どもを生んで、普通に私たちのような家族を築く…それがあなたの幸せだよ」と言いながらゆかの手を引く。でも実際は、祖父母も両親も、そして私も、それぞれ違う時代に生き、異なる価値観を持って育ち、別々の人生を歩む「一人の人間」です。
家父長的な枠組みから自由になろうと声を上げている人は、確実に増えていると感じます。ぶち破る女性たちのイラスト。今では自分の身体のことを自分で決める大切さを理解しているし、婦人科へ行くことは恥ずかしいことではないだとも気づきました。
私は今やっと、自分のやりたいことが選べそうな気持ちでいます。手を引いていた祖父母や母から離れ、人混みの中を歩いていく主人公。家父長制に基づいた、「女性はこうあるべきという価値観(母親なら、妻なら、娘なら…)」ではなく…。
「一人の人間としてどう生きたいか」みんなが堂々と選べる社会になることを願っています。ゆか「『これも家父長制だな』と感じたことがあったら、コメントで教えてくださいね」とこちらを振り返って言う。おわり。

【マンガで解説】ジェンダー平等を妨げる「家父長制」って?「『長女』として育てられた私の話」から考える

みなさんは「女の子だから〇〇するべき」という言葉にモヤモヤした経験はありますか?

たとえば、

「女の子なんだから、そんなはしたないことはやめなさい」
「料理が苦手?そんなんじゃお嫁に行けないよ」
「優しい旦那さんを見つけて子どもを育てるのがあなたの幸せだよ」

などなど…

こうした性別に基づく一方的な決めつけや期待の背景には、「家父長制」という社会のあり方が潜んでいます。

家父長制とは、家族のなかで最年長の男性がリーダーとなる社会、または男性が支配し、自分たちの利益のために権力を行使する社会のこと(Cambridge Dictionaryより)。

今回の記事では、そんな家父長制が、私たちの生活にどのような影響を与えているのかについて、マンガを通じて一緒に考えてみたいと思います。

「女の子なんだから〜」は “マナー”のひとつ?

冒頭で挙げたような「女の子は〇〇するべき」という考え方は、これまで“当たり前のマナー”のように扱われ、長い間、問題視されてきませんでした。

しかしこれは、ジェンダーに関するステレオタイプ(固定観念)にあたります。

たとえば、

「女の子なんだから、そんな言葉遣いはやめなさい」
「男の子の顔を立てて、サポート役にまわるべき」
「身だしなみに気をつけないと、お嫁に行けないよ」

こうした発言の裏側には、共通して「女の子は優しく、従順で、家庭的であるべき」といったジェンダー規範が存在しています。

限定的な女性像が「普通」とされると、そこに当てはまらない人は「未熟」「おかしい」「マナー違反」などとみなされるようになります。

その結果、学びやキャリアの選択肢が狭められてしまうこともあります。単に感覚として息苦しさを感じるだけでなく、“どう生きるか”という根本的な自由さえも制限されてしまうという問題があるのです。

家制度廃止から80年近く経っても根深い家父長制

ここまで見てきたような「らしさ」を押し付ける規範の根底には、日本社会に長く根づいてきた家父長制の影響があります。

家父長制とは、家族のなかで最年長の男性がリーダーとなる社会、または男性が支配し、自分たちの利益のために権力を行使する社会のこと。

この家父長制という支配のシステムには、社会の制度や秩序の基本を、男性が家長となり女性や子どもがそれに従う形の「家」という単位で考え、「個人」よりも優先させるという特徴があります。

男性優位を正当化する家父長的な価値観は、明治期の家制度をきっかけに日本社会に広く浸透していきました。そんな家制度は1947年、日本国憲法の施行によって廃止されましたが、それから80年近く経った今でも様々な形で私たちの暮らしに影響を与えています。

たとえば…

価値観

  • 「女性はみな生まれつき包容力があり、細やかな物事に向いている」
  • 「女性は結局は “家に入る” のだから、高等教育を受ける必要がない」
  • 「女性は性や身体について積極的に話したり、自分で決めたりするべきでない」

制度

  • 「世帯単位」で記載する戸籍制度
  • 約95%が夫の姓に統一する理由となっている夫婦同姓制度
  • 男女間の家族形成を前提とし、未だに同性婚を認めていない婚姻制度

慣習

  • 結婚式や葬式で、「嫁の親族は控えめに」「長男が喪主」などとされる。
  • 墓の継承が家単位で行われ、「墓は長男夫婦が守る」「女性は実家の墓に入れない」などとされる。
  • 介護の負担が、未婚の娘や嫁に集中しやすい。特に「長男の嫁」に対する期待が重くのしかかる。

これらはいまも私たちの暮らしに残る“家制度の名残”のほんの一部にすぎません。

「家父長制」や「家制度」と聞くと、「昔のこと」であり、「今の私たちには関係ない」と感じる方も多いかもしれません。しかしここまで見てきたように、今も私たちの生活に大きく影響を与えているのです。

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子どもに「こうあるべき」の呪いをかけないために

マンガでは、幼いころから「女の子なんだから」「長女なんだから」と言われ続けてきた主人公の経験が描かれています。

一見「しつけ」や「アドバイス」のように思える言葉でも、知らず知らずのうちに子どもの自尊心を傷つけ、「ちゃんとしなきゃ」「期待に応えなきゃ」と自分の気持ちを押し殺す原因になってしまうおそれがあります。

しかし、子どもは守られる対象であるだけでなく、大人と同じように権利をもつ一人の人間です。

国連の「子どもの権利条約」では、子ども(18歳未満の人)が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、人権を保障されるべきであると定められています(第2条)。

そして条文の中では、自由に意見を述べ、その意見が尊重されることについても記されています(第12条)。

性別を理由に「こうあるべき」と決めつけられることで、子どもたちの選択肢が狭まり、声が軽んじられてしまうと、基本的人権の侵害にもつながります。

本来、やりたいことや得意なことは人それぞれ違って当たり前なはず。大切なのは、本人がどんなふうに生きたいか、何を大事にしたいかを自分で選び取れることなのではないでしょうか。

さいごに

この記事では、「女の子なんだから〜」という言葉の裏に潜む、家父長制の影響やその名残について見てきました。

ジェンダー平等を実現し、誰もが自分らしく尊厳をもって生きられる社会をつくるには、私たちの中にある「当たり前」を問い直すことがとても大切です。

「家父長制」という言葉に少しとっつきにくさを感じたかもしれませんが、それは“過去の制度”ではなく、いまを生きる私たちの問題でもあります。

パレットークではこの先2週間にわたり、家父長制をメインテーマにさまざまな発信を行っていきます。難しいトピックではありますが、あらためて一緒に学び、考えてみませんか?

参考
https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_all.html

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