【マンガで解説】女性から学びの機会を奪ってきた「家父長制」とその影響
かつて女性は「女性である」という理由で、学びたくても学べない時代がありました。
今回は、今よりももっと家父長制が強く、女性の選択肢が奪われていた時代に育った祖母を持つ方の体験談をマンガでご紹介しました。
体験談を読んでみて、皆さんは「昔と今は違うな」と感じたでしょうか?
たしかに、時代の変化とともに女性が学びたいことを学べる環境は昔に比べると整ってきたことも事実です。しかし、現在においてもまだまだ性別を理由として学ぶことをあきらめざるを得ない女性たちがたくさんいます。
2018年、医学部受験において不正な得点操作が行われてきたことが大きなニュースになりました。本来であれば合格ラインに達していた受験生が「女性である」という理由により医療を学ぶ機会から疎外されてしまったのです。
また女性を学びから阻害する要因は、こうした組織的な差別のほかにも、生活の隅々に女性の学ぶ権利を奪う要素はたくさんあります。今回はパレットークに寄せられた声も交えながら、女性と学ぶ機会について考えていきたいと思います。
そもそも家父長制とは?
家父長制とは、年長の男性に支配権が集中する制度のことです。父親が、妻や子どもに関するさまざまな決定権を所有し、その地位は男子に継承されていきます。
日本でも、明治時代に家族のあり方に関する民法が制定され、
- 戸主は家の中の最年長の男性であり、家族はその命令に従わなければいけない
- 家の財産は、原則的に戸主の長男が継ぐ
- 結婚は、戸主の許可がないとできない
- 妻は夫の許可がないと働くことができない
などの決まりがありました。
こうした日本の家制度は第二次世界大戦後の1947年に、日本国憲法の誕生にともなって廃止されることになります。
しかし明治民法が改正されたからといって、制度や風習のなかに残る男性中心的な考えがなくなったわけではありません。現在の日本でも、社会のいたるところに家父長制的な(=男性中心主義的な)制度や風習が残っています。
制度だけじゃない、女性から学びを奪う様々な価値観
女性と男性という性別二元論の強い社会では、この「男女」の枠組みに様々な二項対立が男女の差として当てはめられる場面も多くあります。
- 男性は強く逞しい/女性は優しい
- 男性は理性的/女性は感情的
男性脳/女性脳という疑似科学を目にすることもしばしばありますが、冒頭で紹介した医学部受験の不正も、こうした価値観の延長上にあります。
文部科学省の学校基本調査によると、2023年度の大学進学率は男子が60.7%、女子が54.5%と、過去最高の水準に達したそうです。1960年の大学進学率が男子13.7%、女子2.5%だったことから比べると、全体的な進学率も男女の差も縮まってきていることがわかります。
しかし、その進学の個別的な状況を見ていくとまだまだ多くの差が残されていることもわかります。2023年の国際女性デーの頃に、今回のマンガをInstagramで公開した際にも、読者の方々から多くの反響とコメントが寄せられました。
「なんだかんだ言って、常に兄が優先されていて、妹の私は大学に行けなかった」
「大学に落ちて、浪人したいと思っていると親戚に話すと、浪人はダメ、貰い手がいなくなると言われた」
「行きたい大学があったけれど、『女の子だから地元の大学にしておけ』と言われた」
それぞれの家庭において異なる経済状況や教育に関する方針があるとしても、性別による区別(=差別)が今も根強く残っていることがわかります。
また、
「勉強や将来つきたい仕事のことを『女の子ががんばっても無駄よ』と親に言われた」
中学時代に母に『東大に言ったら結婚できない』と言われて、無意識に勉強を抑えていたな」
など、そもそも勉強に対する意欲や動機を損なわせる声掛けをされたという体験談もありました。こうした1つひとつの体験談からは、今回のマンガのエピソードが決して過去のものではないことがわかります。
性別に関わらず「学びたい」が尊重される社会へ
現代社会は、以前と比べれば性別に関わらず学ぶことができ、自分の進みたい道を選べる社会へと、少しずつですが変化しつつありますが、それでもまだまだ誰もが学びたいことを学べる社会からは程遠い現実があることも事実です。
組織的・制度的な女性差別だけでなく、私たちの価値観のなかに潜む無意識の差別意識についても見つめなおすことで、性別によって学ぶ機会がうばわれない社会につなげていくことはできないのではないでしょうか。
今よりももっと家父長制が根強い時代に生まれ育ちながらも、学ぶことをあきらめなかった1人の女性の体験談から勇気をもらうと同時に、今も残る問題からも目をそむけることなく考えていく必要があるのだと思います。







