「私だけじゃない」と思えたAセクシュアルの私の話
恋人同士、付き合ったら手を繋いだりハグをしたり、キスをしたり…。けれど、そういった行為を進んでしたいと思わなかったり、したくないと感じる性のあり方を持つ人もいますよね。
今回は、Aセクシュアルである自分と周りとの違いに傷つきながらも「自分はひとりじゃない」ということに気づけた女性のエピソードをマンガでご紹介しました。
恋人同士になったなら、付き合ったなら、こういうことをするのが普通だという世間の風潮はまだまだ強くあります。
「性的に惹かれる人に出会ってないだけだよ」
「まだその時じゃないだけだから、焦らなくても大丈夫」
などなど、性的に惹かれることや身体的接触が当たり前とされる世の中の空気に生きづらさを抱える人も多いかもしれません。しかしそんな中でも近年、Aセクシュアルという性のあり方について少しずつ知られるようになってきました。「自分ももしかしたらそうかもしれない」と感じている方も多いかもしれません。
Aセクシュアルとは?
Aセクシュアルとは、「性的魅力を感じない/感じづらい」また、「性的な接触を望まない」性的指向のことです。
他の性的指向と同じく、Aセクシュアルは自分自身の選択ではありません。そのため、「あえて自分で性的な事柄を避けている」禁欲主義や独身主義とは異なります。
参考:https://acesandaros.org/learn/the-asexual-umbrella
また、Aセクシュアルと一言で言ってもそのあり方は人それぞれ異なります。たとえば、性的な接触に対して嫌悪感を持つのか、それとも積極的に求めないタイプなのか。または(キス、ハグ、セックスなど)性的な事柄によっても受け止め方が変わるかもしれません。
Aセクシュアルはアンブレラタームとしても使われることがあります。
・デミセクシュアル:強い感情的な絆を感じた相手にのみ性的な魅力を感じる
・グレーセクシュアル:Aセクシュアルという言葉の定義に厳密には当てはまらないけれど一致する部分があると感じる
などは広義のAセクシュアルに含まれます。このような、Aセクシュアルの傘の中に含まれる多様な性のあり方を包括して、ACE(エース)と呼ぶこともあります。
恋愛至上主義とセクシュアルノーマティビティ
私たちが生きる社会は、まだまだ「恋愛をすることが当たり前」という風潮が根強くあり、その恋愛の中には性的な接触も暗黙の了解で含まれることがほとんどです。
性的な接触を持つことや、そうした欲望を感じることを「人として成熟している」もしくは「健康的なこと」などの価値観と結びつけ、カップル関係や愛、親密な間柄においてセックスがなによりも重要なことである、とみなす規範のことを「セクシュアルノーマティビティ」と呼びます。
性的な接触を望むこと/持つことが人間として「普通」であり「自然である」とする価値観がまだまだ根強いこの社会では、Aセクシュアルの人々は日々さまざまな場面で「普通ではない存在」として扱われることを経験しています。
たとえば、他者から勝手に「何かおかしいのではないか/トラウマがあるのではないか」などと勘繰られたり、「まだいい相手に巡り会えてないだけだよ」とアドバイスをされたり…。または、性的な関係性を他者と結ばないことから「未熟だ」とレッテルをはられてしまうこともあります。
最近は少しずつ、そのような社会の価値観は問い直されることも増えてきましたが、Aセクシュアルはまだまだ社会の中で「いないことにされる」ことの多いセクシュアリティであることはまちがいありません。
そんな中で、「自分は『普通』じゃない」と苦しい思いを抱える方も、まだまだ多いのではないでしょうか。
・恋愛感情や性的な惹かれの有無
・パートナーを必要とするか
・パートナーとどのような関わりを持つか
自分にとっての「当たり前」が相手にとっての「当たり前ではない」ということをあらためて心に留め、無意識に自分の「当たり前」を誰かに押し付けてしまっていないか気をつけられるといいですね。
パレットークのあちゃこちゃらじおでも、Aセクシュアルと恋愛至上主義について取り上げています。こちらもぜひご視聴ください。