女性との交際経験がないと、レズビアンじゃない?
同窓会での会話 「皆なつかし〜もう5年ぶり?」「7年7年」「老けるわ〜」「うちの上司の話聞いてよ〜」 近くの会話が聞こえてくる 「てか楓、今〇〇で働いてるらしいよ〜」 「まじ?楓ちゃん頭良かったもんね」 葵「楓...」
ドリンクを飲みながら回想する葵「久しぶりに名前聞いたな...」 私が「自分はレズビアンかもしれない」と思い始めたのは、高校生の頃だった。
でも、女性が好きなんだとカミングアウトしても、否定されたり。。。 同級生「葵さんってさ、男性と付き合ったことある?だからレズビアンだと思うんじゃない?男性と付き合ってみたら?」 沈黙する葵
レズビアンバーに来た葵 居合わせた女性「レズビアンバーって初めてですか?」 葵「ええ、今まで来たことなくて...」
近くの席の女性たちの会話 「最近彼女とどうなの?」 「聞いてよ元カノがさ〜」 「まじ?ヤバ女じゃん」 居心地の悪そうな葵。ひとりお酒をすする レズビアンの輪に入ろうとしても、恋愛をしていない私は入れない気がして、なかなかできなかった
自分のことをレズビアンだと思っているのに、女性との交際経験がないとレズビアンと名乗ってはいけないような気がしてずっと怖かった せめて「だれにも疑われない、レズビアンとしてのアイデンティティ」を持ちたいと焦っていた
廊下で告白する葵「あ、あのさ...付き合わない?私たち...!」
振り返って笑う楓「...うん、いいよ」 そんな私が大学時代に告白したのが、同じレズビアンで友人の楓だった
温かい飲み物を片手に冬の街を歩く葵と楓 肩がぶつかり、自然と恋人繋ぎをする
「女の子と付き合えている自分」... 「これで私もちゃんとレズビアンだ」と思えた気がして嬉しかった
でも... ある日の二人。楓がそっぽを向きながら尋ねる。 楓「葵はさ、ほんとに私のこと好きなの?」
現在。同窓会から帰宅した葵 「ただいま〜」 ジャケットと荷物を置いて伸びをする
コーヒーを淹れながら考える葵 あの頃は「レズビアンであることの証明」みたいに付き合って、相手のこと全然考えられてなかったな...
マンガや映画に出てくるような、かわいい彼女がいて、素敵な家に一緒に住んでいて... そんなレズビアンになれば、周りから受け入れられるような気がしてた
お湯を注ぎながら でも、別に全員がそうってわけじゃないし、 「周りから受け入れられやすいレズビアン」に無理やりなる必要もない
ソファーに座ってコーヒーを飲む葵 レズビアンだって多様だ 高齢な人、障害のある人、子育て中の人、誰にもカミングアウトしてない人... もちろん現在シングルな私も...
私は今のところ、これからもレズビアンという自認で生きていく 「レズビアンであることを証明しなきゃいけない」 そんなプレッシャーに傷ついてきたり、誰かを傷つけてきた過去の自分もひっくるめて おわり

【マンガで解説】「女性との交際経験がないとレズビアンじゃない」という決めつけについて

まだまだ異性愛が前提とされる日本社会において、セクシュアルマイノリティは常にそのあり方を「証明」するよう求められるような空気が残っています。

「付き合った経験がないなら、ただの憧れなんじゃない?」
「どうして同性が好きだって確信できるの?」

このような言葉をかけられたことや、自分でそう考えてしまったことがある人は、少なくないのではないでしょうか。

今回はこのような決めつけについて、マンガを通じて考えていきたいと思います。

レズビアンとは

レズビアンとは、性的、恋愛的、感情的な魅かれのどれか、もしくはすべてを女性に対して感じる女性のことを指すアイデンティティです。簡単に言い換えると、「女性に惹かれる女性(女性同性愛者)」を広く含むラベルだと言えます。

ただし、女性に惹かれる女性が皆レズビアンを名乗っているとは限りません。たとえば、「gay(ゲイ)」や「gay woman(ゲイ女性)」という言葉を使う人もいます。

※「gay(ゲイ)」は日本ではおもに「男性同性愛者」を指すときに用いられる呼称ですが、英語圏では、女性同性愛者も含めて使われることがあります。

どんな言葉で自分の性のあり方を表すかは、その人自身が選ぶものです。誰かに対して勝手に「この人はレズビアンだ」と決めつけることは避けましょう。

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セクシュアリティは「経験」で決まるもの?

マンガの中では、主人公が「 “誰にも疑われないレズビアンとしてのアイデンティティ”を持ちたい」というプレッシャーにとらわれていた経験を振り返っています。

はじめにも述べた通り日本社会では、制度的にも意識的にも異性愛が前提とされていることがほとんどです。

そのため、セクシュアルマイノリティの人たちに対して性のあり方を「証明」するよう求めるような風潮がまだまだ残っています。

しかし、セクシュアリティは「どんな相手と付き合ったか」ではなく、「どんな相手に惹かれるか」を表すものです。恋愛や性的な経験がなくても、本人が持つ感覚は誰にも否定できません。

また、「女性との恋愛経験がある=本物のレズビアンである」のような考え方は、他者に恋愛感情を抱きにくい人や、恋愛の機会が限られている人の存在も見えなくしてしまいます。

たとえば、AロマンティックやAセクシュアルであり、同時にレズビアンであるという人も存在しますよね。

大切なのは経験の数ではなく、自分がどう感じているか、そしてその感覚をどう表現したいか(もしくはしたくないか)なのではないでしょうか。

“わかりやすい”レズビアン像の問題点

近年LGBTQ+という言葉も広まってきて、「レズビアン」という性のあり方について知っているという人も増えてきたように思います。

しかし日本ではレズビアンであるとカミングアウトしている芸能人も、レズビアンを描いた作品も限られた数しか存在していないのが現状です。

つまりマンガの中で言及されていたような多様なレズビアンのあり方について、公に表現される/語られる機会が限られているのです。

そのため「ボーイッシュ」や「男嫌い」など、まだまだステレオタイプ的なレズビアン像を鵜呑みにしてしまっている人も少なくありません。

また特に異性愛者の男性の間には、レズビアンという存在や女性同士の親密な関係を理想化/幻想化し、性的に消費するような風潮が根強く残ってしまっています。

レズビアンであるということを公表している有名人が少ないのも、こうしたレズビアンに対するステレオタイプや性的に消費するような視線が影響していると言えるかもしれません。

そうなるとカミングアウトができるのは、比較的社会的地位が守られている人、たとえば経済的に安定している人や、海外で法的に女性と婚姻関係を結んだ人などに限られてきます。

ここまでをまとめると、下のような構図が見えてくるのではないでしょうか。

多様なレズビアンのあり方が表象されない
→レズビアンに対するステレオタイプやスティグマが放置&強化される
→現実からかけ離れた/ごく一部分のみを切り取ったレズビアン像が浸透
→カミングアウトや自認自体のハードルが上がり「疑われないレズビアンアイデンティティを得たい」という焦りにもつながる
→多様なレズビアンのあり方が表象されない(はじめに戻る)

このようなループは「 “わかりやすい”レズビアン像にあてはまらない人はレズビアンを名乗れない」という風潮を強め、レズビアン当事者の人々、そして「自分はレズビアンかも」と思っている人々の居場所を奪う要因になります。

こうした流れを繰り返さないためにも、ステレオタイプ的なレズビアン像の消費をやめ、多様なレズビアンの声を伝えていくことが必要だと思います。

さいごに

今この記事を読んでいる人の中にも、女性との交際経験がないことを理由に「自分はレズビアンを名乗れないかも」と感じている方もいるかもしれません。

自分の気持ちがまだよくわからなかったり、揺れ動いていたりすると、「曖昧なまま名乗るのはよくないのでは」と思ってしまうこともあります。

でも、本人が「自分はレズビアンだ」と感じているならば、誰もそれを試すようなことはできません。そして「かもしれない」も、確かな今の状態です。

むしろ、「曖昧なままでいてはいけない」という思い込みが、無意識に自分のあり方を否定する方向へと向かってしまうことがあります。セクシュアリティは流動的で、生きていく中で少しずつ見えてくるものです。

自分がどう感じるか、どんなふうに自分の気持ちを表現するか、焦らず自分のペースで考えていけるといいですね。