ノンバイナリーってなに? -従来の 「男か女のどちらか」に当てはまらない性のあり方について

皆さんは、ノンバイナリーという言葉を知っていますか?

2021年のプライド月間には、歌手の宇多田ヒカルさんがノンバイナリーであることをカミングアウトしたことが話題になりました。このニュースで初めて「ノンバイナリー」という言葉を知った方も多いかもしれません。

ノンバイナリーとは、「男・女という従来の二元的な枠組みに当てはまらない性のあり方」を指します。とはいえ、この文言を聞いただけではピンとこない方も多いかもしれません。

今回は、女子校に通うとある高校生の体験談をきっかけにノンバイナリーについて一緒に学んでみましょう。

性別二元論(ジェンダー・バイナリー)とは

ノンバイナリーという性のあり方が少しずつ知られるようになったのはここ数年のこと。「男女のどちらでもない」というジェンダー・アイデンティティはまだまだ十分に認知されているとは言えません。そもそもこのノンバイナリーという性のあり方を理解する上で、性別二元論(ジェンダー・バイナリー)という考え方をあらためて考えてみたいと思います。

バイナリー(Binary)とは、「2つの項を持つ」という意味の英単語。ジェンダーに関しては、「男女の2つの項を前提とする」という意味で使われます。

性別二元論は男女二元論とも言われるように、「性のあり方は男か女のどちらかである」とする考え方です。この考え方に基づいて、私たちは日常生活でも法律上でも、男女のどちらかの枠に振りわけられています。

男か女のどちらかに振りわけられるとき、その根拠となる要素は場合によって様々です。法律上は「出生時に割り当てられた性別」や「戸籍の性別」に基づいて男女のどちらかに振りわけられることが多いですが、それだけではありません。

たとえば、 ・どんな服装をしているのか?メイクをしているか? ・言葉遣いや仕草、態度 といった要素からも、私たちは男女のどちらかだと判断されます。日常生活においては、身分証を常に提示するわけではないので、むしろ「戸籍上の性別」よりもこうした「振る舞いや外見」などから判断される方が多いかもしれません。

そして世の中のシステムの多くが、この性別二元論に基づいて作られています。最近でこそ、アンケートフォームなどで「男女」以外の性別を選べるものも増えてきましたが、ほとんどがまだまだ「男女」を前提としているものばかりです。

今回取り上げたノンバイナリー(Non-Binary)という性のあり方は、この「男女のどちらかである」という価値観を前提としないジェンダー・アイデンティティのこと。出生時に割り当てられた性別に関わりなく、「自分は男でも女でもない」と感じる人は、実は多く存在します。

先述の通り、世の中のシステムや人々の認識は、まだまだ性別二元論を前提としている場合が多くあるので、「男女どちらでもない」と感じている人が勝手にどちらかに振りわけられてしまい、傷ついてしまうケースはたくさんあるのです。

トランスジェンダーやXジェンダーとの違い

ノンバイナリーの性のあり方について読んでいて、「トランスジェンダーやXジェンダーとの違いはなんだろう?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

「生まれたときに割り当てられた性別とは異なる性のあり方で生きる/生きようとする人」という意味では、ノンバイナリーも広義のトランスジェンダーと捉えられます。

しかし狭義のトランスジェンダーはほとんどの場合、性別二元論を前提としています。たとえば、トランスジェンダー男性は出生時に割り当てられた性別は女性ですが、男性として生きる/生きようとする人のこと。あくまで彼らは男性です。逆に、トランスジェンダー女性は出生時に割り当てられた性別は男性ですが、女性として生きる/生きようとする人のことなので、彼女たちは女性です。

どちらも性自認が男女のどちらかとなるので、ノンバイナリーの「男女のどちらでもない」という性自認とは異なります。

最近はXジェンダーという性のあり方も少しずつ知られてきました。パレットークでもこれまでXジェンダーに関するマンガを発信してきましたが、実はこのXジェンダーは日本語独自の表現で、ノンバイナリーと重なる部分もありつつ、完全に同じ意味というわけではありません。

Xジェンダーは、 ・両性 (自分は男女のどちらでもあると感じる) ・中性(自分は男女のまんなかであると感じる) ・無性(自分に性別はないと感じる) ・不定性(性自認が定まっていない) などにわけることができ、Xジェンダーとノンバイナリーは「既存の男女の枠には当てはまらない」という意味で共通点があります。しかし、たとえばXジェンダーの両性と中性は「男女」という枠組みを前提として捉えられる場合が多いので、その点でノンバイナリーとは異なっています。

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ノンバイナリーは、「性のあり方を性別二元論で捉えない」という点にアクセントがあると言えるかもしれません。

とはいえ、Xジェンダーの捉え方が様々であるのと同様に、ノンバイナリーの捉え方も様々で、人によってどの名称や定義がしっくりくるかは異なります。ノンバイナリーの人であっても、「男女のどちらでもある」「中間である」と感じる人はいますし、身体への違和感を持ち医療措置を必要とする人もいれば、そうではない人もいます。

大切なのはどんな性のあり方を持っていても、相手のことを勝手に決めつけずに尊重することなのではないでしょうか。

知ることで可視化される性の多様性

比較的新しい性のあり方とされるノンバイナリーですが、「ノンバイナリーの人が最近になって突然世界に現れた」ということではもちろんありません。ノンバイナリーという性のあり方を持つ人はずっと昔からいましたが、その名称が最近知られるようになり、その存在が可視化されてきたというだけのことです。

よく耳に新しいセクシュアリティやジェンダー・アイデンティティの名前が出てくると「カテゴリーを増やすだけでは、かえって人々の性のあり方を限定してしまうのではないか?」という疑問が投げかけられることがあります。もしくは「セクシュアリティやジェンダー・アイデンティティに細かく名前を付けていくことに意味があるの?」という疑問もあると思います。

しかし今の社会は、性別二元論や異性愛などが当然視され、当たり前にシステムや人々の認識の前提となっています。そんな中で、「既存の性のあり方に当てはまらない人々」は、不可視化され「いないこと」にされがちです。

また社会の中であまりにも当たり前とされてきた性のあり方の中で、「自分は普通とは違っている」「自分の存在はなんなんだろう」と言語化できずに苦しんでいる人はたくさんいます。そして、自分の性のあり方としっくりくる名前を見つけて安心したり、同じ性のあり方を持つ仲間と出会って安心したり、逆に「自分とは微妙に違うな」という感覚からさらに自分の性のあり方が言語化できる人もいます。

このような経験は「意味がない」と軽視していいことではありません。どんな性のあり方を持っていようと、その人の存在をないことにしない/抑圧しないためには、名前が知られる必要があるのです。

大切なのは、「名前を増やすこと/見つけること」それ自体ではなく、 ・知ることで自分の性のあり方を見つめるきっかけになる ・自分の当たり前を誰かに押しつけないようになる ・社会で「ないこと」にされている人を減らしていく ということなのではないでしょうか。

性のあり方は今も昔も多様でしたが、それが知られるようになったのは最近のこと。そしてまだまだ「当たり前」の性のあり方につらい思いをしている人は多くいます。

性別二元論を前提としたジェンダー・アイデンティティを持っている人にとって、「ノンバイナリーであること」の感覚を完全に理解することは難しいかもしれませんが、理解しなければその人のことを尊重できないというわけではありません。そして「理解できない」ということは「知らなくてもいい」と同じでもありません。

ノンバイナリーという性のあり方を知る人が増えることによって、世の中の当たり前を問い直し、誰かの存在をいないことにしないシステムへアップデートしていく必要があるのではないでしょうか。

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