ワットアバウティズムとは?

具体例から「論点ずらし」のパターンを見つける

SNSやニュースのコメント欄で、誰かが問題を指摘した直後、「じゃあ〇〇はどうなんだ」という言葉が返される。

あるいは身近な人との言い合いのなかで、もともとの話とは違う論点を持ち出されて、なんとなくうやむやにされてしまった。

そんな経験に覚えのある方もいるかもしれません。

こうした、批判や問題提起に対して論点をずらすことで相手を黙らせようとする論法は、「ワットアバウティズム」と呼ばれています。

ワットアバウティズムとは?

ワットアバウティズム(whataboutism)とは、ある問題について指摘や批判を受けた際に、「じゃあ〇〇はどうなんだ?」と別の問題を持ち出して話をそらしてしまう論法のことです。

持ち出される別の問題は、もとの問題と関連している場合もあれば、まったく関係のない場合もあります。共通しているのは、もとの指摘そのものに向き合わず、別の問題に話題を移してしまうこと

ここで少しややこしいのは、持ち出される「別の問題」自体は、実際に存在する本当の問題であることが多いということです。

たとえば、「痴漢の被害がある」という話に対して「でも、痴漢冤罪の被害もある」と返す場合、「痴漢冤罪という問題そのものが嘘」なわけではありません。だからこそ、一見するともっともらしく聞こえてしまう場合も…。

問題なのは、その話が事実かどうかではなく、「もとの指摘を黙らせるため」に持ち出されているという点です。

ワットアバウティズムの語源

「ワットアバウティズム」という言葉は、実はそれほど古いものではありません。由来とされる事例はいくつかありますが、このワットアバウティズムを理解するうえでとてもわかりやすいので、簡単にみていきましょう。

ひとつの起源として挙げられるのが、1970年代のアイルランド独立運動をめぐる議論です。

イギリスからの独立を求めるIRA(アイルランド共和軍)の過激な武装闘争が批判された際に、「でもイギリスだってこんなことをしている」といった反論が返されることがありました。こうした発言をする人や論法が「whataboutery」と呼ばれるようになったというものです。

もうひとつの文脈が、冷戦期のアメリカとソ連の対立です。

アメリカがソ連の政治的自由の乏しさを批判すると、ソ連側から「でもアメリカには人種差別がある」「黒人をリンチしている」といった反論が返される。

こうしたソ連側の反論の仕方を指して、「whataboutism」という言葉が使われるようになったとされています。

現在では政治的な議論だけでなく、日常の会話やSNS上のやりとりなど、さまざまな場面で「論点ずらし」のような意味で使われています。

ワットアバウティズム ― よくある3つのパターン

ここからは、ワットアバウティズムに見られるパターンを、3つにわけて見ていきます。

これは学術的に確立された分類というわけではありません。また実際には、トーンポリシングなど、ほかの論法と重なっていることもあります。

しかし、ワットアバウティズムやトーンポリシングなど、いわゆる議論をずらす論法に「どんな似たような構造があるか」、パターンをみていきましょう。

① 打ち消し型——被害を、別の被害で相殺する

たとえば、「痴漢の被害がある」という話に対して、「でも、痴漢冤罪の被害もある」と返すケース。

もちろん、痴漢冤罪も深刻な問題です。

ただ、ここで問題になるのは、「痴漢の被害」と「痴漢冤罪」を、まるでどちらか一方しか存在できない問題であるかのように扱ってしまうことです。

また、「痴漢の被害を訴えると、すぐに逮捕されてしまう」といった誤解が広がっていることや、実際にどれほど多くの人が痴漢被害にあっているのかが十分に知られていないことも、被害を訴える側に「本当に被害にあったことを証明しなければならない」という負担をかけることにつながります。

そもそも、日本では1990年代ごろまで、「痴漢の体験記」や痴漢の方法を扱ったハウツー本などが、専門誌のような形で出版されていました。

こうした被害が長いあいだ軽視されてきた歴史背景を含めて考えることも重要です。

② ゼロサム型——資源や関心を、まるで「奪い合い」であるかのように見せる

もうひとつは、ある問題に注目すると、別の問題への関心が失われてしまうかのように考えるパターンです。

たとえば、相次ぐ警官による黒人射殺事件に対してアメリカでおきた抵抗運動Black Lives Matter(BLM)では、一部の人が「All Lives Matter」と返すバックラッシュがありました。

「Black lives matter(黒人の命も大切だ)」という訴えに対して、「All lives matter(すべての人の命が大切だ)」と返すと、まるでBLMが「黒人の命だけが大切だ」と主張しているかのように見えてしまいます。

もちろん「すべての人の命が大切」という言葉そのものは否定できません。しかし、それによって「黒人が警察によって殺される割合は、白人の約3倍である」という、もともと問題にされていたことには答えられていません。

③ 後回し型——「今じゃない」論

最後は「今はそれを考えるときではない」と問題を後回しにするパターン。

たとえば、災害時の避難所で「もっと大変な人がいる」「命のほうが大事だから」と言われると、個々人のニーズを声に出しにくい空気が生まれることがあります。

生理用品が足りない、着替えるためのプライバシーがない、といった問題も「今はそれどころではない」と後回しにされてしまう。

背景には、防災担当部署に女性職員がひとりもいない自治体が6割にのぼるという状況もあります。

これは災害時だけの話ではありません。LGBT理解増進法をめぐる議論でも、「時期尚早だ」「もう少し慎重に議論する必要がある」といった言葉によって、議論そのものが先送りされることがありました。

その結果、成立した法律は内容が骨抜きになり、トイレや浴室などの問題に焦点が当たる一方で、いじめや差別といった、もともと議論されるべきだった問題が十分に扱われなかったとも指摘されています。

「今はまだそのときではない」という言葉が、結果として「いつまでもそのときがこない」ということにつながってしまう場合もあります。

これらに共通しているもの

ここまで見てきた3つのパターンに共通しているのは、複雑な現実を無理やりに「どちらか一方」の形へと単純化してしまうことです。

被害と冤罪は、どちらか一方だけが存在するものではなく、またひとつの問題に光を当てることは、別の問題を否定することでもありません。

そして、誰かの事情や個別のニーズに配慮することは、ほかの人の事情を軽視することでもありません。

本来は同時に考えることのできる問題なのに「こっちを考えるなら、あっちは考えないことになる」という構図にしてしまう。

そこに、ワットアバウティズムの特徴があります。

おわりに

ひとつの問題について考えることは、別の問題について考えないことではない。

複雑な現実のなかでは、複数の問題が同時に存在することがある。

それでも私たちは、考えなければならないことが増えるほど、物事を単純な形に整理したくなってしまいます。「どちらが大事なのか」「どちらが悪いのか」と、ひとつを選ばなければならないように考えてしまうことも…。

だからこそ、すぐに答えをひとつに決めるのではなく、別の問題を持ち出すことで、もとの問題をなかったことにされていないか/していないか、と立ち止まって考えることが大切なのかもしれません。

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パレットークでは、8周年記念イベント「話すことからはじめる、私たちのプライド」で、ワットアバウティズムをテーマに取り上げました。

前半では、ワットアバウティズムについて紹介。

後半では、参加者のみなさんから日常のなかで感じた「これってワットアバウティズムかも?」という事例を持ち寄ってもらい、みんなで考えました。

女性専用車両や女性枠について

女性専用車両や、女性を対象とした枠などについての議論では「男性にとって不公平ではないか」という反応が出ることがあります。そうした状況に対して、

「フェミニズムという言葉がついているだけで、その前提にある不均衡さや公平でないところを飛ばして、そこにだけスポットが当たっているように見えてしまう」

という声が上がりました。取り組みそのものを「男性にとって不公平だ」と批判する一方で、そもそもなぜその取り組みが必要とされているのか、その背景にある構造的な不均衡については触れられない。

こうしたところにも、ワットアバウティズムと似た構造を見ることができます。

外国人へのヘイトについて

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しかし、それによって日本で起きている排外主義についての議論が置き換えられてしまうことがあります。イベントでは、

「ヘイト(差別)の文脈じゃなくても、海外の問題に言及したときにテンプレのように出てくる論法だと思う」

という声もありました。

人種、国籍、民族、ルーツ、宗教などをめぐる話題では、とくにこうした「じゃあ、こっちはどうなんだ」という反応が起こることがあります。

婚姻の平等(同性婚)について

婚姻の平等(同性婚)をめぐっても、「今は仕方ない」と問題を後回しにするような言葉が出てくることがあります。

日本では、婚姻の平等に反対する人の割合は、ほかの国と比べてもそれほど高くないとされています。それでも、

「国民の理解が追いついていない」
「まだ議論が必要だ」

といった理由で、議論そのものが先延ばしにされる現状が続いています。

イベントでは「『仕方ない』って言える立場の人はいいですよね」という声も。「今は仕方ない」と言えるのは、必ずしもその問題によって困っていない側という、不均衡な力関係が社会には存在していることをあらためて考えることの大切さを指摘する意見もあげられました。

オンラインイベント「話すことからはじめる、わたしたちのプライド」

LGBTQ+やプライド、フェミニズムをテーマに、まずは知ること、そして誰かと話すことから始めてみませんか?

ひとりでは抱えきれない複雑な問題が山積みな現代社会だからこそ、誰かと一緒に考える。その時間を、次の一歩につながるきっかけにしていきたい。そんな想いから、オンラインのイベントを定期開催しています。

イベントの告知や申込は、SNSやウェブサイトで更新いたします。

ぜひご参加下さい。

参考
https://wordhistories.net/2018/12/24/whataboutery-origin/
https://www.merriam-webster.com/wordplay/whataboutism-origin-meaning
https://en.wikipedia.org/wiki/And_you_are_lynching_Negroes
https://bmjgroup.com/fatal-police-shootings-of-unarmed-black-people-in-us-more-than-3-times-as-high-as-in-whites/
https://woman-type.jp/wt/feature/31283/
https://www.ipsos.com/ja-jp/ipsos-pride-survey-2024-ja