ルッキズムとは?

皆さんは、「ルッキズム」という言葉を聞いたことがありますか?
ルッキズムとは日本語で「外見至上主義」とも訳され、人の見た目や身体的特徴に基づいて評価したり差別したりする考え方や社会現象のことを指します。とはいえ、この文言を聞いただけで「具体的にどんな問題なの?」「日常のどんな場面にあるの?」とピンとこない方も多いかもしれません。
パレットークではこれまでも見た目にまつわるモヤモヤや社会の空気についてマンガで発信してきましたが、今回はあらためて「ルッキズムってどんな問題のこと?」ということについてまとめていきたいと思います。
ルッキズムの定義
ルッキズム(外見至上主義)とは、外見や身体的特徴に基づいて他者を差別する思想や社会現象のこと。外見・容姿を意味する「ルック(Look)」と、主義を意味する「イズム(Ism)」を組み合わせた造語で、1970年代にアメリカのメディアに掲載された記事をきっかけに、幅広く使われるようになりました。
言い換えると、だれかが「望ましい」とされる外見であるかどうかで、その人に不利益を被らせること・その構造を指す言葉と言えます。
そんなルッキズムは、わたしたちの日常のさまざまな場面に潜んでいます。
たとえば…
「顔採用」
見た目の印象など、本人の能力や意思とは必ずしも関係のない点が評価の際に重視され、採用の可否が決まる学校での厳しい「身だしなみ」指導
地毛が明るいのに黒く染めるよう言われたり、もともと巻き毛でもストレートヘアにするように指導される。こうした狭い「基準」から外れると「反抗的」「協調性がない」と見なされる。メディア上の外見への不必要な言及
「美人スポーツ選手」「美しすぎる政治家」など、特に女性ジェンダーの人について、本人の能力や功績ではなく「見た目の美しさ」に焦点が当てられやすい。
こうしたルッキズムの例からわかるのは、
- 外見が関係ない場面で、外見を理由に待遇に差があり、「望ましくない」とされた外見の人は不利益を被る場面がある
- そもそもの基準となる「どんな外見が美しい/望ましいか」という価値観は、女性差別や人種差別などと深く結びついて、偏っている
ということ。
日本でも比較的最近広がった言葉ですが、これまで「たんなる個人の問題」として片付けられてしまいがちだった容姿にまつわるモヤモヤが、実は社会のあり方と深く結びついていることを示す重要なキーワードです。
ルッキズムに関するよくあるギモン
言葉が広まる一方で、「どこからがルッキズムにあたるのか?」と疑問に思う人も少なくありません。ここでは、ルッキズムについてよく寄せられる疑問や誤解を見ていきましょう。
外見で好きになるのもルッキズム?
恋愛的・性的な魅力に限らず、誰かのことを「すてきだな」と感じる理由や仕方は人それぞれです。
そのため、だれかの容姿に惹かれること自体にはなんの問題もありません。
そもそもルッキズムとは上述の通り、たんなる「個人の好みの問題」とは異なり、特定の「好ましい」とされる外見と「優れていること」とを結びつける、差別につながる問題です。
外見で人を判断しないのは不可能じゃない?
たしかに私たちは、日ごろから知らず知らずのうちに人を見た目で判断して生きています。
- 電車に乗っているとき、お年寄りに見える人に席を譲る
- 体調が悪そうな友達に「大丈夫?」と声をかける
- 旅行先で道を聞くとき、そこで暮らしていそうな人に声をかける
これらも言ってみれば、「人を見た目で判断すること」ですよね。場合によっては、見た目で下した判断がまちがっていて、相手に嫌な思いをさせてしまうこともあるかもしれません。
しかしこうした行為は、ルッキズムではなさそうです。
繰り返しになりますが、ルッキズムとは特定の「好ましい」とされる外見と「優れていること」とを結びつける、差別につながる問題です。
ポイントとなるのは、社会で広く共有されている「この見た目が望ましい」という条件を満たさない人に、不利益を被らせるのがルッキズムだという点です。
外見を褒めるのもいけないの?
「ルッキズム」という言葉がときには本来の意味を超えて幅広く使われるようになり、見た目に関して貶すことの問題性が少しずつ広がってきたと感じられる今日。
「セクハラにならないように、見た目に関するネガティブなことは言わないでおこう」と気をつけている人も多いのではないでしょうか?
しかし見た目に関してのネガティブな言及だけでなく、「褒めているつもり」の言葉であっても誰かを傷つける場合があることはまだまだ一般的ではないかもしれません。
「痩せているね」
「美人だね/イケメンだね」
もちろんこれらの言葉で嬉しい気持ちになる人もいます。しかし、実はこれらの「見た目に関するポジティブな言及」が、状況や文脈によって相手を傷つけ不快な気持ちにさせる可能性もあります。
くわしくは、マンガを見ながら考えてみましょう。
マンガで見てみよう①:「褒めているから問題ない」って本当?
これは世の中のほとんどのことに言えることですが、大前提として褒める相手やその状況、互いの関係性によって、どのような言葉を避けるべきかは変わってきます。
同じ言葉を言われたとしても、人によって、また時と場合、関係性によってはポジティブにもネガティブにもなりえます。
そんな褒め言葉の中でも特に要注意なものは、たとえば…
- 顔立ち
- 体重・体形
- 肌の色
- 髪質
その人自身が「変えよう」と思って変えられるものではないケースも多いので、こうした特徴への言及は避けるべきトピックです。しかし実際にはコミュニケーションの中で相手の「見た目」に言及せずとも褒めているシーンはあるのではないでしょうか。
ここでポイントになるのが、褒める対象が「その人のチョイスかどうか」ということ。ファッションであれば見た目に関することであっても、生まれ持ったものや体型などは避けながら相手を褒めることは可能ですし、その人の言動、スキルなど、これまで勉強や努力、経験を積んだことから生まれるその人の魅力にフォーカスを当てるのもオススメです。
マンガで見てみよう②:コンプレックス商法と異性愛中心主義
このマンガに登場するふたりが旅先で感じたのは、「どんな体型でも、どんな服でもだれも構わない」というジャッジのない空気でした。
脇毛を剃ることなくそのまま生やしている女性や、年齢や体型に関係なく肌を出している人たちがごく自然にすごしている環境で、2人は人の目を気にせず自分の好きな服装で滞在を楽しむことができていました。
しかし帰国したとたん、カオルは思わず空港でカーディガンを羽織ります。
それは、「細くなければ肌を見せるべきではない」「ムダ毛は処理すべき」のような、日本社会に浸透した外見についての価値観を思い出したためでした。
見た目や服装についてのモヤモヤを感じていたのは、普段から好きな格好をしているというレイも同じでした。
レイは自分の着たい服を着ていただけなのに「男性に好かれるかどうか」でジャッジされた経験について語っています。
私たちの暮らす社会には、誰かの容姿、特に女性の容姿を「異性に好まれるかどうか」という基準で判断する雰囲気が根強くあります。
見た目や振る舞いを取り上げて、「こんなんじゃお嫁に行けない」などと馬鹿にするような行為は、以前に比べると減ってきたようです。
でも、よくよく周りを見渡すと「異性愛の達成を目的とした容姿の管理」を美徳とし、生まれ持った特徴について「そのままじゃダメだよ」と不安を煽り、解決策として商品を差し出すような広告は、今も日本社会のいたるところにあふれていますよね。
たとえば
- 「体毛のせいで彼氏に振られた」というストーリーから始まる
- “愛されボディ”のような言葉を用い、異性にモテる身体を目指すべき姿として描く
などなど…
こうした空気が根強い中、女性の装いや身体は「誰かに見られるもの」「誰かの好みに合わせるべきもの」とされる傾向にあります。
そしてその 「誰か」とは、女性本人のセクシュアリティにかかわらず、多くの場合「異性愛者の男性」が想定されているのです。
近年は男性向け美容の注目度が高まることで、こうしたコンプレックス広告は、男性をターゲットにしたものも増えてきています。
レイやカオルが旅先で感じた心地よさは、そんな「異性愛を前提とした基準」で測られない空気のなかにあったのかもしれません。
マンガで見てみよう②:「個人の選択」だから肯定されるべき?
近年、「自分の身体のことは自分で決める」という文脈で「きれいになること」を肯定し、推奨するような考え方が広まりつつあります。
たしかに、自分の身体や見た目についてどうするかは、自分で決めること。それを他人が否定したり、批判したりすることはできません。
しかし「きれいになりたい」という気持ちは、そもそもどこからきたのでしょうか?
マンガの主人公は、以下のような美容広告のコピーに疑問を抱きます。
「輝く素肌で輝くあなたに!」
→ 疑問:毛がある肌では輝けない?「Eラインでモテる横顔をGET」
→ 疑問:この輪郭でなければ魅力的じゃない?「理想の体型で、もう一度人生を楽しめるようになりました」
→ 疑問: この体型じゃないと、人生を楽しめない?
一見するとポジティブなメッセージに見えるこれらの宣伝文句には、実は「今のあなたでは足りない」「もっと変わらなければ幸せにはなれない」という前提が含まれていることがわかります。
その“足りなさ”を埋める方法として、売り出されている製品やサービスを利用すれば理想の自分になれる」とそっと提案される。こうした見えづらい「不安をビジネスにする」構造は、さりげない形で日常のあらゆる場面に入り込んでいるのです。
2022年にプラン ・ ユースグループが行った調査では、15〜25歳の若者のうち、女性の92.8%、男性の74.2%が容姿に悩んだことがあると回答しました。
特に女性では、56.2%が「SNSが容姿への関心のきっかけになった」とも答えており、見た目への不安が、日常的に触れるSNSでの広告やインフルエンサーの言動などから強く影響を受けていることがうかがえます。
「きれいになること」をめぐる行動や選択が、本当に個人の意思だけで成り立っているのか。そのことについてあらためて問い直す必要性を感じさせられるデータではないでしょうか?
マンガでも言われているとおり、整形を選ぶことそれ自体が悪いわけではありません。自分の身体や見た目についてどうするかは自分で決めることであり、他人がとやかく口出しをしていいことではありません。
しかし同時に、
「きれい」になることで、
・自己を肯定できるようになる
・魅力的な人間になれる
・人生を楽しめる
といった考え方が日常生活のあちこちに散りばめられ定着していくと、世の中の「きれい」に沿わない/沿おうとしない人々が、「怠惰」「努力していない」というようなレッテルを貼られやすくなってしまいます。
私たちが本当に必要としているのは、「きれいであること」を選ぶ自由と同時に「変わらない自分も悪くない」「他人の理想像に合わせなくてもいい」と思えるような社会なのではないでしょうか。
自由な選択とは、ただ「目の前の選択肢から選ぶこと」ではなく、「何がこの選択を形づくっているのか」を知り、そのルールを自分で疑うことから始まるのかもしれません。
まとめ
ルッキズムは、単なる見た目の好き嫌いの問題ではなく、私たちの社会の制度や仕組み、メディアや広告などを通じて「特定の外見」を押し付け、そうでない人々を排除・否定してしまう構造的な問題です。
長い年月を掛けてつくられてきた見た目に対するプレッシャーは、今すぐ手放せるわけではありません。
また、さまざまな社会通念に影響をうけ、そして影響を与えながら生きている私たちにとって、
「自分が本当はなにを望んでいるのか」
を確かめるのは、とても難しいこと。
だからこそ、
- この社会では、どんな外見が「望ましい」とされているのか
- その基準の背景には、どんな構造があるのか
- 「望ましい」外見になることで、「自信や力が湧いてくる」と感じるのはなぜか
ということについて考えてみると、新たな気づきがあるかもしれません。
参考
西倉実季『ルッキズムってなんだろう?みんなで考える外見のこと』(平凡社)
https://www.plan-international.jp/social_issues/what_lookism