【インタビュー】ICUジェンダー研究センターの先生に聞く「LGBTQ +とフェミニズムの関係って?」
最近いろいろなところで取り上げられるようになってきたフェミニズム。 フェミニズムという言葉を聞いて皆さんはどんなイメージを持つでしょう?もしかしてLGBTQ+当事者にとって、”男女”差別の問題だけを扱うイメージのあるフェミニズムは、なんとなく別の問題のような気がする人も多いのではないでしょうか。
フェミニズムとLGBTQ+、どちらもジェンダーにまつわることだけど、どのように関係しているの?そんな疑問を解決すべく、国際基督教大学ジェンダー研究センターの高松先生と加藤先生にお話をうかがってきました。
フェミニズムもLGBTQ+も問題視する先は同じ
伊藤:「フェミニズム」と聞くと、女性たちが男女差別に反対する思想がイメージされると思います。LGBTQ+当事者にとっては、なんとなく他人事と感じるという声を聞きました。フェミニズムとLGBTQ+、どちらもざっくりジェンダーにまつわることですが、実際どのように関わり合っているのでしょうか?
高松: この社会では、生まれてすぐに当たり前のように「男か女」にわけられますよね。いろいろな制度が男女の2つにわけた上で成り立っている問題があります。
加藤: この社会で誰が中心になってになっているのかというと、ある特定の年齢・ジェンダーを持っている人、つまり年長の異性愛の男性なんですね。そして賃金や雇用形態などを見てもわかるように、現在の社会はそういう特定の男性が優位になる構造が成り立っています。
そのような社会の構造を「家父長制」といいます。特定の年長の男性が、自分たち以外の人たち(若い男たちと女たち)をコントロールするシステムのことです。
高松:家父長制は「男らしさ/女らしさ」という価値観を大切にします。たとえばその「男らしさ」の中には、「男は女と結婚して、子どもを持つ」という価値観も含まれます。
加藤:そういう価値観の中で生きてきた人は、それにうまく適応できない人を「だめなやつ」とジャッジするし、逆に自分とは違う価値観の人を怖いと感じるのでしょう。
高松:フェミニズムは、この家父長制をずっと批判してきました。そして実は、この家父長制というシステムは女性だけではなくてLGBTQ+当事者を周辺化してしまうのです。
伊藤:家父長制はフェミニズムだけの問題ではないということでしょうか?
高松:はい。なぜならこの家父長制が、社会の根強い男女二元論と異性愛中心主義とも関係しているからです。
加藤:2016年に虹色ダイバーシティと行った職場環境アンケートについて、研究者の石田仁さんがコメントした際に提示された調査結果でも、自分の同僚や部下がLGBTQ+だったらいやだと思う人の割合に、年長の男性が圧倒的に多かったんです。これは家父長制の典型ですよね。女性のことを「女なんて」とさげすむ人と、LGBTQ+当事者を排除しようとする人は重なり合うのです。
伊藤:なるほど…。
高松:そういう意味で、フェミニズムもLGBTQ+当事者も、家父長制をどう解体していくのかということが共通の根になっていて、同じ地平に立っているのだと思います。どんな性別や性的指向・性自認を持つ人でも生きやすい社会を作るために、問い直していかなくてはいけない先は同じなんです。
怖いフェミニズム✕おしゃれなLGBTQ+?
伊藤:フェミニズムはなんとなく怖い!というイメージを持つ人が多いと思いますが、一方LGBTQ+はおしゃれなイメージで取り上げられることが多いと思います。ネガティブなイメージがまとわりついてしまっているフェミニズムと、比較的新しくておしゃれなLGBTQ+が連帯して社会を変えていけるのではないでしょうか?
加藤:最近LGBTQ+という言葉が一般に広まりましたが、決してLGBTQ+の問題は最近できたわけでも、新しい問題でもなくて、当事者はずっと抑圧されて差別を受けてきましたよね。それがようやく社会の注目を集めて盛り上がってきた、という段階です。
高松:社会の盛り上がり、というのはとても大切だと思います。ただ一方で、ただのブームとしてだけ受け止められてしまうのには危機感があります。
伊藤:それはどうしてでしょうか?
高松:なぜなら、これは命や生活といったことに関わる、切実な人権の問題だからです。
加藤:先述のアンケートからもわかるのですが、「LGBTQ+に配慮した商品に興味がありますか?またどのような分野の商品に興味がありますか?」という質問で、実はファッションなどよりも、医療・金融という切実な事柄のほうが当事者にとっては関心が高いのです。
高松:LGBTQ+はあくまで人権の問題だということを忘れてはいけないと思います。あらゆる人間の尊厳が守られる社会のためには、盛り上がっているかどうかにかかわらず、常に議論が必要です。
伊藤:おしゃれで新しい、というイメージだけでは大切な点が見えなくなってしまうこともあるということですね。
高松:はい。たとえばLGBTQ+という言葉を知っているだけで本当は何が問題とされているのかまで理解していなければ、当事者が直面している医療の問題など具体的なところに目は行かないし、そもそも男女二元論に基づいた社会のあり方も問い直せません。
加藤:生命維持について、パートナーと暮らせるのか、福祉・介護の問題。そういう切実な問題が、今の異性愛主義の強い社会では取り残されてしまいます。「LGBT市場」といって、華々しい部分を商品化し経済を活性化しようとしている人たちと当事者の間には、大きなギャップがあるように感じます。結婚式が華々しくできて、かっこいい服を着られるだけでは、安心して暮らせないですよね。
伊藤:そこで、フェミニズムの泥臭さというか、今まで社会のいろいろな分野で戦ってきた経験とうまく協力できたら、と思うのですが…。
高松:その可能性はあると思います。ブームが去ったあと、どうなっていくのか。ぜひ取り入れやすい分野だけじゃなくて、すべての分野で多様性を尊重できる仕組みを考えていかなくてはいけないと思います。
伊藤:フェミニズム自体も変わってきていますよね。最近は、おしゃれでかっこいいフェミニストアイコンがどんどん登場しています。
加藤:フェミニズムもいろんな波を経て今にいたってます。昔は化粧をしたら「何男に媚びているの」と仲間内から批判されたりもしたんですよ。今は、フェミニストがハイヒールを履いて、メイクをしてもいいじゃん!という新しい波が来ていて、70年代とはだいぶフェミニズムの雰囲気もイメージも変わってきたんじゃないでしょうか。
伊藤:フェミニズムにもLGBTQ+当事者にも多様なあり方があって、そのなかで自分がフィットするものを探せるということはいいことだと思います。
排除に対して敏感になる
伊藤:フェミニズム自体がレズビアンの女性たちを排除したという歴史や、LGBTQ+のプライド運動でも分断が起きた歴史を聞いたことがあります。近年では、お茶の水女子大がトランスジェンダー女性の受け入れを決めたときに、一部の女性から不安の声があがりましたよね。
高松:お茶の水女子大の件に実際に反対する”フェミニスト”と私はまだ会ったことはないですが、もしそのようなことがあるのなら問題だと思います。
加藤:そもそも女子大自体、男子学生とは一緒に学べないけど優秀な女性にも教育の機会を、と設立されたものです。昔自分たちが排除されてきたのと同じことを今、トランスジェンダー女性にもしてしまうとしたら、それって変ですよね。
伊藤:運動が誰に対しても開かれているようにするにはどうしたらいいのでしょう?
高松:想像力を持つことが大切だと思っています。自分と違う身体・環境で生きている人は自分と違う経験をしているかもしれない、という想像ができる力のことです。そして、活動の中で誰かを排除していないか、力関係を作っていないか、いつも自己点検することです。
伊藤:常に自分以外の人への想像力を持つことで、意見の違いがあってもそれがどこから来ているのかを語り合えるということですね。
高松:はい。LGBTQ+当事者と非当事者のフェミニストでは、具体的に直面する問題がいつも同じとは限らないけれど、この社会のものすごく強い男女二元論や異性愛中心主義についてともに議論し批判していくことは可能だと思います。どのような立場にいても問題は共有できるのです。
LGBTQ+当事者とフェミニズム。一見、立場や生き方、直面する問題が違うように見えても、生きづらさの根底には共通する問題があることがわかった。違いを超えて、誰にとっても生きやすい社会をつくること。そのためには、互いの経験をシェアし、いいところを学び合い、社会のあり方をともに見つめていくことが大切なのではないだろうか。
(文章:伊藤まり、撮影:星野 泰晴)
この記事は、2018.10.16にウェブメディア「Palette」にリリースされたものを一部修正し再掲しております。