旅行から帰ってきた私たちが感じたこと。髪色の明るいロングヘアの女性と、ショートヘアの少しぽっちゃりした女性が楽しそうにしているイラスト。
海外旅行から帰ってきたレイとカオル。楽しく過ごしていた2人ですが、空港に着いた途端、カオルは突然カーディガンを羽織ります。理由を尋ねると、「自分の身体が急に恥ずかしくなった」と語り始めました。私たちが日常的に浴びている「細くてキレイでなければならない」「ムダ毛は処理すべき」といったメッセージが、どれほど強く、そして無意識のうちに深く根づいているのかを、あらためて考えさせられるエピソードです。
数年前の夏、日本の空港にて…。レイ「あ〜海外楽しかった〜!」カオル「最高の旅行だったね〜!」レイ「お腹すいたし、どっかでごはん食べよ!」カオル「いいね〜」るんるん気分で歩いているカオル、じわじわと自分が肩出しスタイルをしていることが気になる、さっとカーディガンを羽織る。
それを見ていたレイ、不思議に思う。空港のカフェにて。レイ「カーディガン暑くない?」カオル「うーん…、旅行の間は全然気にならなかったんだけど、空港に着いた瞬間に、露出とか毛が恥ずかしくなっちゃって…」レイ「そういうことか…」
カオル「私たちが今回行った地域では、脇毛が生えた女性が公園で寝そべっていたり、年齢関係なく露出をしている人も多かったよね。誰がどんな体型でどんな格好でも、ジャッジされないような雰囲気を感じたよ」レイ「うんうん」カオル「周りがそういう雰囲気だからかな、私も、いつもより露出をしているけど、好きな格好を楽しめたんだよね」レイ「うん、カオルめっちゃ楽しそうだった」カオル「でも、帰ってきたら急に恥ずかしくなっちゃって…」
カオル「細くてキレイじゃないなら足や腕を出しちゃダメだよね…っていう、いつも感じてる空気を思い出しちゃったのかも」広告やバラエティなどで体型をジャッジしている空気(その二の腕大丈夫?その体型女の子としてどうなの〜?と笑う、脇毛の処理が甘いと彼に嫌われるかも…などなど)にうんざりしているイラスト。カオル「こういうのを知らないうちに取り込んでて、コンプレックスになってたんだな〜って」レイ「その感覚、私もわかるかも…」カオル「レイちゃんも?いつも自分らしい格好を楽しんでるイメージだった」
レイ「私は『人の目は気にしない』っていうポリシーだけど、『え?俺のこと誘ってんの?』『そんな格好、男に嫌われるよ?』って、派手な格好もいろいろ言われるよ〜。でも今回の旅行ではそういうこともなかったし、ずっと、うちら最高〜!って気持ちで楽しめて、嬉しかったんだ!もちろん、私たちの行った国でも怖い目にあったり、見た目でジャッジされたりする人もいるはずだけどね」
レイ「でも『好きな格好をしていても評価されない』雰囲気を、周りの女性たちを見ていて感じられたのはたしかだな〜、居心地良かったよね〜」カオル「たった一週間だったけど、自分に自身を持てる時間をすごせてよかったよ〜」レイ「よし、また一緒に最高な格好して遊びに行こ!」カオル「うん!」レイ「次はどこ行く〜?」カオル「海とかどう?一緒に水着買いに行きたい!」レイ「いいね〜!」

【マンガで解説】「旅行から帰ってきた私たちが感じたこと」から考える、コンプレックス広告の問題点

みなさんは、体型や装いにまつわる決めつけにモヤモヤした経験はありますか?

たとえば、

「足が細くないとミニスカートは履けない」
「白くてすべすべの肌を皆が目指すべき」
「露出の多い服装は、男性に色目を使っている証拠」

などなど…

今回の記事では、海外旅行から帰ってきた2人の女性が、見た目をめぐる「こうあるべき」に向き合うエピソードを通じ、こうした決めつけやその背後にある「コンプレックス産業」の問題についても考えてみたいと思います。

旅行帰りに思い出した、外見に対する視線

カオルとレイが旅先で感じたのは、「どんな体型でも、どんな服でもだれも構わない」というジャッジのない空気でした。

脇毛を剃ることなくそのまま生やしている女性や、年齢や体型に関係なく肌を出している人たちがごく自然にすごしている環境で、2人は人の目を気にせず自分の好きな服装で滞在を楽しむことができていました。

でも帰国したとたん、カオルは思わず空港でカーディガンを羽織ります。

それは、「細くなければ肌を見せるべきではない」「ムダ毛は処理すべき」のような、日本社会に浸透した外見についての価値観を思い出したためでした。

「こうあるべき」を強めるコンプレックス産業

体型や体毛、肌の色、髪質。

生まれ持った特徴について「そのままじゃダメだよ」と不安を煽り、解決策として商品を差し出すような広告は、今も日本社会のいたるところにあふれています。

日常的にこのようなメッセージに触れ続けていると、知らず知らずのうちに「見た目を改善しなければ」という焦りや不安が刷り込まれ、本来は自由であるはずのファッションや容姿の選択にも自信が持てなくなってしまいます。

こうした「不安をビジネスにする」構造、すなわちコンプレックス産業は日常のあらゆる場面に深く入り込んでいるのです。

最近では、直接的に不安を煽るのではなく「自分を好きになろう」「セルフケア」「一度きりの青春を楽しもう」のような、前向きな言葉を用いた広告も多く見かけるようになりました。

しかし一見ポジティブに思えるこれらのメッセージも、意図せずして「そのサービスを利用しなければ、自分を愛せない」「何かを変えなければ、青春を楽しめない」といった新たな“こうあるべき”の押しつけを生んでしまうことがあります。

とくにメディアリテラシーが十分に育っていない10代などの若い世代にとって、こうした広告に日常的に触れ続けることは、「このままではダメだ」という感覚を内面化させてしまうおそれがあります。

「男ウケ」で判断される風潮

見た目や服装についてのモヤモヤを感じていたのは、普段から好きな格好をしているというレイも同じでした。

レイは自分の着たい服を着ていただけなのに「男性に好かれるかどうか」でジャッジされた経験について語っています。

このように日本社会では、見た目や振る舞いが「異性に好まれるかどうか」という基準で評価することがまだまだ “あたりまえ”とされがちです。

たとえば上述のコンプレックス広告のなかでは、顧客をまなざす異性の視線を意識させ、不安を呼び起こすような表現がよく使われています。

たとえば

  • 「体毛のせいで彼氏に振られた」というストーリーから始まる
  • “愛されボディ”のような言葉を用い、異性にモテる身体を目指すべき姿として描く

などなど…

こうした空気が根強い中、女性の装いや身体は「誰かに見られるもの」「誰かの好みに合わせるべきもの」とされる傾向にあります。

そしてその 「誰か」とは、女性本人のセクシュアリティにかかわらず、多くの場合「異性愛者の男性」が想定されているのです。

近年は男性向け美容の注目度が高まることで、こうしたコンプレックス広告は、男性をターゲットにしたものも増えてきています。

レイやカオルが旅先で感じた心地よさは、そんな「異性愛を前提とした基準」で測られない空気のなかにあったのかもしれません。

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さいごに

今回の記事ではレイとカオルのエピソードをもとに、見た目に対する「こうあるべき」という価値観や、その背後にあるコンプレックス産業の問題について考えてみました。

本来、どんな格好をするか、どんな見た目でいるかはその人自身が決めること。

マンガの中の2人が旅行先で感じたように、「誰にもジャッジされない」空気の中ですごす時間が、自分らしさを取り戻すきっかけになることもあります。

だれもがもっと自由に、もっと心地よく自分の身体とつきあっていけるようになるためには、発信する側はもちろん、私たち1人ひとりが「これって本当に大丈夫?」と疑問を持つことも大切です。

パレットークではこれから2週間、ルッキズムをテーマにさまざまなコンテンツをお届けしていきます。

なんとなく「当たり前」に思っていた見た目へのまなざしを、この機会にあらためて見直してみませんか?

パレットークの「あちゃこちゃらじお」第4回では、ルッキズムとコンプレックスについてもお話しています。合わせてご視聴ください。