自分のマジョリティ性に気づいた私の話
サークルのミーティングにて サオリ「じゃあ今度のミーティングは25日でいい?」 マキ「ごめんシフト入っちゃっててその日参加できないや〜!あとからキャッチアップするね!」 みんな「ok〜」「了解」 進んでいく話し合い。サオリはマキのことが少し気がかりな様子
話し合い後、教室に残ったサオリとミドリの会話 サオリ「ミドリはさ、正直マキのことどう思う?」 ミドリ「ん〜どうして?」 サオリ「全然活動にコミットできてなくない?やる気あるのかなって...。」(本番前だから今が頑張りどきなのに...) 何度も遅刻してくるマキ、寝落ちしているマキ、疲れて見えるマキの姿を回想
サオリ「いつも「バイトが」って予定合わないし。」 ミドリが気まずそうな表情で「あ〜」と相槌 サオリ「わたしも働いてるけど、そんなに無理するほどシフト入れる必要ある?っていうかさ...」(うちの部って本来は個人の都合で休むのNGだし...)
ミドリ「うーん...。それ、マキには言わないほうがいいかもね。本人も結構オープンにしてるみたいだから言うけど...マキは学費も生活費も自分で稼いでるんだってよ。」 サオリ「えっ!」と驚く
サオリ「親御さんとかは...?」 ミドリ「そのへんは詳しく聞いてないけど〜(変に探り入れるのもね〜?)」 「サオリの不満もちょっとわかるけど、やる気がないとかじゃないと思うよ。一回話してみたら?」というミドリの言葉を思い出しながら、自室のベッドで仰向けになっているサオリ。
サオリ「自分で学費稼いでるとか、考えてもみなかったな...。」 壁に貼ってあるフェミニズム関連のポスターを見ながら考えるサオリ 「大学の講義でフェミニズムと出会ってから、「女性」としてこの社会で生きる上で直面するいろんな困難を、構造的に理解できるようになってきた。」
「今まで私がおかしいと思ってきたことをフェミニズムのレンズで覗いてみたら、いろいろと見えるようになってきた。」 ・夏直前に!ムダ毛処理!との広告と、体毛を気にする過去のサオリ ・「それくらい我慢すればいじゃん!」と言われた経験 ・結婚願望ないのに「早く孫が見たいね〜」と言われた経験 これらが入っている箱をフェミニズムの虫眼鏡を通して見てみると、「
「「今まで感じてきた違和感は間違いなかったんだ」って思えて、心強かった。 でも同時に、自分の持つ「マジョリティ性」にも気づく機会が増えてきたんだった。」 鏡に映る自分と対峙するサオリ。自分が持っている様々な特権性が見えてくる。 ・シスジェンダー ・異性愛者 ・東京育ち ・実家住み ・4年制大学在学(学費は親持ち) ・塾に通っていた ・「日本人らしい」見た目で国籍も日本 ・本を読む習慣がある ・健康上で大きな困難がない
「「女性」と一言で言っても、ほんとうにいろんな人がいるんだよね。」 ・学費等を自分でまかなうマキ「奨学金のために成績を維持しながら働いてるよ〜〜」 ・レズビアンのミドリ「彼女との将来、どうなるんだろう...。」 ・外国にルーツのある後輩ユキ「日本で生まれ育ったのにいつも「外国人」扱いされるのにうんざり。」 ・視覚障害のあるクラスメイトのチカ「街中でも学校でも、私の存在が前提とされてないと感じる事が多いな。」
「もちろん私が「ある側面ではマジョリティである」ということは、「女性であることによって直面してきた生きづらさ」をないことにするわけではない。 それぞれが「どれくらい生きづらいか」なんて、単純な足し引きでは測れないはず。」
「でも、「私がこれまで素通りできた壁にぶつかっている人がいる」という事実は変わらない。」 サオリにとっては小さなハードルでも、隣のマキの前には大きく立ちはだかっている様子。 「大切なのは、そうした状況の違いを「ないこと」にせず、向き合い続けること」 困った様子のマキの方に近づき、寄り添おうとするサオリ
「これからも自分のマジョリティ性に気づく機会はまだまだあると思う。」 マキにメッセージを送るサオリのスマホの画面。 メッセージの内容は「今日はおつかれ!サークル活動でなにか困ってることあったりする?もしあったら気軽に言ってね!」 机に向かいスマホを眺めるサオリ。パソコンにはレインボーフラッグとトランスフラッグのシールが貼ってある。 「知らないうちに誰かを「いないこと」にしてしまわないか...一人のフェミニストとして、しっかりと向き合っていきたいと思った」 おわり

【マンガで解説】「自分のマジョリティ性に気づいた私の話」から考える、インターセクショナルなフェミニズム

自分の「当たり前」が、他の誰かにとってもそうであるかのように振る舞ってしまった経験はありますか?

たとえば、

大学進学について親の支援を受けられる
恋人のことについて人前で堂々と話せる
書類などで「男・女」から選ぶことに抵抗がない

などなど…

ある人にとってはごく当たり前の事だからこそ、「必ずしも全員に当てはまるわけではない」と気づくことが難しいケースもあります。

今回の記事では、自身のマジョリティ性と向き合う主人公の姿を描いたマンガを通じ、マジョリティ性がもたらす「特権」について、またフェミニズム運動の中でも重要とされる「インターセクショナリティ」について紹介していきます。

マジョリティ性がもたらす「特権」って?

「特権(Privilege)」とは、マジョリティとされる社会集団に属していることで努力せずに得られる優位性のことです。「努力せずに得られる」という点が重要で、「個人が何を成し遂げたのか」は関係ありません。

*マジョリティ(Majority)は「多数派」と訳され、単純に「人数が多い」という意味でも使われる単語ですが、ここでは強い発言力を持ち、社会的に優位な立場にある社会集団のことを意味します。

たとえば日本社会で暮らす上で「特権を持っている」とされる属性としては、以下のようなものが挙げられます。

  • 異性愛者
  • 男性
  • シスジェンダー
  • 「日本人的」な見た目
  • 障害がない
  • 親が高学歴

今回のマンガは主人公であるサオリが、友人マキの経済的な状況を知ったことをきっかけに、自身の持つマジョリティ性を自覚するという内容でした。

フェミニズムを学んでいても、なかなか自分のマジョリティ性に気づくのが難しいと感じているのはサオリだけではないはずです。

ただしマンガの中でも描かれているように、何らかのマジョリティ性を持っているからといって、その人が「一切差別を経験せずに生きていける」というわけではありません。あるマジョリティ性を持つ人が、同時に他のマイノリティ性をあわせ持つ場合も多くあります。

このように複雑に絡み合う差別や排除と向き合うために重要なのが「インターセクショナリティ(Intersectionality)」という概念です。

ブラック・フェミニズムから生まれた「インターセクショナリティ(交差性)」

インターセクショナリティとは、黒人弁護士で社会運動家のキンバリー・クレンショーによって提唱された言葉で、さまざまな属性(ジェンダー、セクシュアリティ、人種、階級、国籍、年齢、障害など)に対する差別や抑圧の構造が、それぞれ独立してではなく、お互いに影響し合いながら1人ひとりの経験を形作っていることを示す概念です。

クレンショーは1989年に発表した『人種と性の交差点を脱周縁化する*』という論文の中で、黒人女性が経験する差別や抑圧について「黒人差別+女性差別」というように単なる属性の足し算で理解するのではなく、「黒人女性」というインターセクショナルな経験として捉える必要があると主張しました。

この概念は第3波フェミニズムから強調されるようになり、第4波フェミニズムでさらに広く使われるようになったため「最近できた考え方」と思われるかもしれません。

しかし、クレンショーが「インターセクショナリティ」という名前をつける以前から、ブラック・フェミニストたちはこうした差別の交差性についてそれぞれの言葉で語っていました。

そしてその後もフェミニスト理論家のベル・フックスなどによって発展したこの概念は、現代の私たちを取り巻く構造を理解するために欠かせないものとして知られています。

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「女性」のなかの多様なあり方を見落とさないために

マンガでも触れられていたように、「女性」と一言で言ってもその経験は本当に多様です。

そのことを忘れてフェミニズムを語ろうとすると、「女性」に含まれる様々なあり方、特に性別だけではないマイノリティ性をあわせ持つ女性たちの存在を覆い隠し、時には排除してしまいかねません。

たとえば「 “女性”の地位向上もまだまだなのに」という理由でLGBTQ+当事者の声を無視しようとする主張は、残念ながら最近でも見受けられますが、こうした発言は「LGBTQ+当事者であり、女性である」という人の存在をないことにしていまっています。

またそもそも家父長制は、女性差別や同性愛嫌悪などの差別的な構造が互いに影響し合いながら強化/維持されています。その1つひとつの要素をきちんと把握し、理解していくことが、あらゆる差別や抑圧を解消していく上で重要なのです。

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さいごに

本記事では、マジョリティ性がもたらす「特権」について、またフェミニズムの中で発展したインターセクショナリティという概念について解説しました。

インターセクショナルな視点を持つことは、自分自身の特権に気づき、そしてその特権とどのように向き合っていくかを考えるきっかけになります。

5月17日は国際反ホモフォビア・バイフォビア・インターセックス差別・トランスフォビアの日。頭文字をとってIDAHOBIT、また日本語では「多様な性にYESの日」とも呼ばれ、さまざまな性のあり方を持つすべての人々が経験する暴力や差別への認識を広め、関心を高めるための日とされています。

この「多様な性にYESの日(IDAHOBIT)」に向け、パレットークでは2週間にわたり、マジョリティ性や「特権」について考えるコンテンツを発信していきます。

この機会に自分が持っているかもしれない「特権」について、改めて考えてみませんか?

*Demarginalizing the Intersection of Race and Sex: A Black Feminist Critique of Antidiscrimination Doctrine, Feminist Theory and Antiracist Politics

参考
https://www.jinken-net.com/close-up/20200701_1908.html
https://www.unwomen.org/sites/default/files/2022-01/Intersectionality-resource-guide-and-toolkit-en.pdf
https://www.nps.gov/articles/sojourner-truth.htm
Kimberlé W. Crenshaw, 1989, “Demarginalizing the Intersection of Race and Sex: A Black Feminist Critique of Antidiscrimination Doctrine, Feminist Theory and Antiracist Politics,” University of Chicago Legal Forum, 1: 139-167.