アセクシュアルとは?意味と「性的惹かれ」について

「恋愛感情を持たない」「いずれ変わる」などの誤解と、性的な関係を重視する社会の背景

アセクシュアル(Aセクシュアル、アセク)とは、他者に性的惹かれを感じない、もしくは、ごく限られた状況でしか感じない人のことを指す言葉です。

この記事では、パレットークに寄せられた当事者の体験談をマンガ形式で紹介しながら、「アセクシュアル」の意味や、「性的惹かれ」という概念、近しいセクシュアリティの種類、よくある誤解などを取り上げて詳しく解説します。

アセクシュアルの定義

アセクシュアル(Aセクシュアル、アセク)とは、他者に性的惹かれを感じない、もしくは、ごく限られた状況でしか感じない人のことを指す言葉です。「セクシュアル」とついていることからもわかるように、これは性的指向の一種であり、LGBTQ+の一部として認識されています。

もちろん、ひとくちにアセクシュアルと言っても、それぞれに小さな差異や個人の認識の違いが存在します。

アセクシュアルの人のなかでも自分の性のあり方をどう捉えているかは異なり、グラデーションのように広がっています。このグラデーション(スペクトラム)上での位置によって、さらにさまざまなカテゴリーにわけることができます。たとえば…

  • (狭義の)アセクシュアル:性的魅力や性的関係を持ちたいという本質的な欲求を経験しない人。
  • デミセクシュアル: 感情的な絆が形成された後にのみ、性的惹かれや欲求を経験する人(特定の基準が満たされるまでセックスを控えるという選択とは異なります)。
  • グレーセクシュアル:アセクシュアルとアロセクシュアル(アセクシュアルではない人)の中間に位置する人。たとえば、性的惹かれを経験するのはごく稀である人、また特定の状況下でのみ性的惹かれを経験する人、人間関係においての重要度が極めて低い人などが当てはまります。

こうした様々なアセクシュアルのスペクトラム上のあり方を総称して、Ace(エース)と表現することもあります。

そもそも「性的惹かれ」とは?4つのアトラクション・モデル

アセクシュアルについて考える上で、重要なキーワードになるのが「性的惹かれ(Sexual attraction)」という表現です。性的な欲求や恋愛的な感情を持つことが当たり前とされる社会、また性的な関係性が恋愛関係の延長線上にあると捉えられがちな社会では、あらためて「性的惹かれ」について分解して考える機会は少ないかもしれません。

性的惹かれとは、誰かと性的な関係を持ちたい、あるいは性的な欲求を分かち合いたいと感じることを指します。そして、アセクシュアルはこの性的惹かれを他者に対して経験しない性のあり方とされています。

ただし、「アセクシュアルだから、誰にも惹かれない」というのは誤解です。「惹かれる」という感覚には、実はいくつかの異なる種類があります。とくにアセクシュアルやアロマンティック(Aロマンティック)のコミュニティのなかで、この違いをわけて理解する「スプリット・アトラクション・モデル」という考え方が広まってきました。

  • アセクシュアルといっても、恋愛感情を持つ人もいれば持たない人もいる
  • 性的惹かれは感じないがスキンシップを好む人もいる
  • 特定の人に美的な魅力を感じるが、それは恋愛や性にはつながらない

そのような個人差を正確に表現するために生まれた考え方です。

主なアトラクションの種類としては、以下の4つがあります。

  • 感覚的惹かれ(Sensual Attraction) 手を繋ぎたい、抱きしめたいなど、スキンシップを好む感覚。これらは必ずしも性的な意味を含みません。アセクシュアルの人の中には、性的な惹かれは感じなくても、感覚的惹かれは経験する人もいます。
  • 恋愛的惹かれ(Romantic Attraction) この人と恋愛関係になりたい、という感覚。恋愛的な惹かれを経験しない性のあり方はアロマンティックと呼ばれ、アセクシュアルであることとは別の軸です。
  • 性的惹かれ(Sexual Attraction) この人と性的な関係を持ちたい、という感覚。アセクシュアルの人の多くはこれを感じないとされています。ただし、アセクシュアルであっても性的な行為に対する考え方はさまざまで、「性行為自体には抵抗がない」という人もいれば「一切望まない」という人もいます。
  • 美的惹かれ(Aesthetic Attraction) 「この人、素敵だな」「美しいな」と見た目に惹かれる感覚。恋愛感情や性的欲求とは別のものであり、アセクシュアルやアロマンティックの人でもこの感覚を持つことがあります。

この記事を読んでいる人の中で、自身のことをアセクシュアルだと認識していない人であっても、上記のような惹かれの経験のうち「特定のものを強く感じやすい」「美的な惹かれは経験したことがない」など、グラデーションが存在しているのではないでしょうか?

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アセクシュアルのスペクトラム

アセクシュアルは「白か黒か」ではっきりわかれるわけではなく、スペクトラムとして広がっています。ここでは、スペクトラムの中にある代表的なセクシュアリティについて、もう少し詳しく見てみましょう。

デミセクシュアル

デミセクシュアルとは、相手との強い信頼関係や感情的な絆ができた場合にのみ、性的惹かれを経験することがあるセクシュアリティです。

「ある程度デートを重ねた上でセックスをしない」といった個人の選択や価値観とは異なり、感情的な絆の形成そのものが性的惹かれの前提条件となっているのがポイントです。

また、デミセクシュアルの人でも「美的惹かれ(見た目を美しい・素敵だと感じる感覚)」を経験することはあります。「相手の見た目は関係ない」という理解は、必ずしも正確ではありません。

「デミセクシュアル=セックスに慎重な人」
「デミセクシュアルは恋愛をしない」

と誤解されることもありますが、いずれも正確ではありません。デミセクシュアルとは「どのように性的惹かれを感じるか」に関するセクシュアリティであり、「性的な行為をするかどうか」という個人の選択とは別のものです。

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グレーセクシュアル

グレーセクシュアルとは、まれに性的惹かれを経験する、または程度の弱い・曖昧な性的惹かれを感じることがあるセクシュアリティです。「アセクシュアルという言葉の定義に完全には当てはまらないけれど、近いものを感じる」という人も含まれます。

グレー(gray)という名前が示すように、その定義は非常に曖昧であり、経験は個人によって大きく異なります。デミセクシュアルはグレーセクシュアルという大きな傘の下に含まれるセクシュアリティであるとも捉えられています。

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なお、特定のラベルの定義に当てはまるように見える人であっても、そもそも用語を知らなかったり、知った上で自認しない・あえてしたくないという人もいます。第三者が勝手に当てはめようとすることは避け、それぞれの感じ方を尊重することが大切です。

なぜ、性的な関係が重要視されているの?セクシュアルノーマティビティについて

アセクシュアルの人々は「性的な惹かれを経験しない/しづらい」ことによって社会から「普通ではない」というレッテルを貼られてしまうことが、残念ながらしばしば起きてしまいます。

このように性的な惹かれを経験することが「普通」とする価値観のことを「セクシュアルノーマティビィティ(sexualnormativity)と呼びます。

「セクシュアルノーマティビィティ(sexualnormativity、性愛規範)」とは、アセクシュアルの当事者による運動・研究の過程でできた概念で、性的惹かれを経験することを「人としての成熟」や「健康」と結びつけ、カップル関係や愛、親密さにおいて、他のどんな関係や接触よりもセックスが重要なものであるとみなす規範を指します(※1)。

(※1)強制的性愛(compulsory sexuality)やセクソサエティ(sexusociety)、セックス・ノーマティヴ文化(sex-normative culture)、性的思い込み(sexual assumption)なども同様の使われ方をしている概念です。

このような規範が浸透した社会で、アセクシュアルの人々はさまざまな場面で「普通ではない存在」として扱われることを経験しています。

たとえば、「性欲を無理にがまんしている」と勘違いされたり、他者から勝手に「どこかがおかしいのではないか/トラウマを抱えているのか」と勘繰られたり…。

最近は少しずつ、このような価値観が問い直されることも増えてきましたが、次の章ではこのセクシュアルノーマティビティが実際の生活の中でどのように現れるかを、マンガを通じて見ていきます。

マンガで見てみよう①:「性経験=成熟」という思い込み

主人公:これは「性行為をしていないと人として未熟」という風潮にモヤモヤする、私の話 (マンガの中のセリフ)「あなたもようやく女になったってことだね!」「処女卒業おめでとう~」 主人公:やっぱりそうなのか このあきらめるような、悲しいような気持ちを私は何度経験しただろう 私は、「フィクトセクシュアル」というセクシュアリティを自任している。 今私には、二次元のパートナーがいて、そのパートナーとは精神的に性的な関係を持っている ※「フィクトセクシュアル」架空のキャラクターのみに性的魅力を感じるセクシュアリティで、広義のAセクシュアルに含めてとらえられることが多いようです。
でも周りからすると、「リアル男性との性経験がない=『処女』」というカテゴリーに入れられ 「セックスしたことがないから一人前の女じゃない」となるそうだ 実際私も、二事件相手以外では性体験をしたことがないと言うと、「つまり処女ってことでしょ?その歳でかわいそう」とさんざん言われてきたし 自分でも「私は人として未熟なんんだ」とずっと悩んできた それでも最近は、同じフィクトセクシュアルやAセクシュアルの人の存在を知り、いろんな方の話をきくことです骨子ずつ自分に自信が持てるようになってきた
今の私は、二次元のパートナーとの関係を恥ずかしいとは思わないし、「現実の男性との性経験がないことで、私の価値が揺らぐことはない」と思えるようになったのだ でも、まだまだ世の中には「セックスをしたことがない=未熟」という風潮が強くあるように感じる。 A:その歳で処女とかまじ?かわいそ~ B:童貞はさすがにちょっと~ C:色っぽくなりたいならセックスしないと~ D:まだ童貞なのかよ~だっせ~ でもそれは、「男女が結ばれてハッピーエンド(性行為つき)」という幸せの形しか今の社会にないからなんじゃないかと最近は思う イラスト内文字:男女が結ばれてハッピーエンド SEXつき
無意識に「そのゴールしかない」と思わされ、そこから外れる人を見て、 A:道から外れてかわいそう B:遅れてる C:男/女を捨ててる と感じてしまうのかもしれない でも私は、「この価値観のみが幸せだ」ということしか提示せず、「普通」を押し付けてくる社会のほうが、よっぽど未熟なのではないかと思う マジョリティの道に違和感のない人はその道を進めばいいと思う だけど、誰かにその道を押し付けてしまっていないか、考えてみてほしい

性的な接触を持つことや性的な欲求を「人としての成熟・健康の証」と結びつける価値観は、セクシュアルノーマティビティの典型的な現れの一つです。

「まだ経験ないの?」
「セックスして一人前だよ」

こうした言葉は、アセクシュアルの人にとって深く傷つくものになりえます。

自分の身体をどうするかは本人が決めることであり、性経験の有無で誰かの成熟度や価値を測善意から発せられる言葉であっても、「あなたはまだ変われる」「いつかわかる」というメッセージは、その人のセクシュアリティを一時的なもの・未熟なものとして扱うことになります。「今、この人がどのような性のあり方を自認しているか」を尊重することが、まず大切な一歩です。

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アセクシュアルと多様な関係性

「アセクシュアルの人はパートナーをほしいと思わない」

これも、よくある誤解の一つです。アセクシュアルの人の中にも「特別で親密な関係性を持ちたい」と感じる人は多くいます。

一方で、「ひとりでいることに満足している」という人も当然ながら存在しています。ここでは、アセクシュアルの人々の多様な関係性のあり方を二つの概念から考えてみましょう。

クィアプラトニック・リレーションシップ(QPR)

恋愛的・性的な関わりを前提とするものとは異なる、深い絆を持つ関係性の一つを「クィアプラトニック・リレーションシップ(Queerplatonic Relationship, QPR)」と呼びます。2010年代にアセクシュアル・アロマンティックのコミュニティの中で生まれた言葉で、「一般的な友情の枠を超えた、深い絆を伴う関係性」を指します。

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QPRのあり方は非常に多様で、たとえばこのような形があります。

  • 共同生活を送るパートナー:恋愛的・性的な関係なしに、人生のパートナーとして一緒に暮らす
  • 家族としてのQPR:血縁はないが、お互いを「家族」として認識し関係を築く
  • 子育てを共にするQPR:恋愛関係なしに、共同で親となり家族を形成する

「恋愛や結婚をしなければ、特別なパートナー関係は築けない」という考え方は今もこの社会に広く浸透していますが、実際のところ、さまざまな関係を豊かに築き上げている人たちがいるのです。QPRという言葉は、そうした多様な親密さのあり方を可視化するきっかけにもなっています。

マンガで見てみよう②:多様なパートナーシップ

カフェで3人の友人と主人公が話している。主人公から見て左の女性が「今付き合ってる人が全然エッチしてくれなくてさ~!」と不満げに言う。中央の女性は「え~!あんたこんなに魅力的なのに?」と驚き、「浮気とか平気そう?」と尋ねる。右の女性は「新しい人見つけた方がいいんじゃない?」と提案する。それを見ていた主人公は「恋バナ、難しいな~…」と思いながら笑っている。3人のようすを見ながら「『恋人=セックス』ってするもの」ってイメージ、やっぱり根強いんだな~…」と考える主人公。
主人公のモノローグ「すべての人が性的な惹かれを経験するとは限らない そのことをうまく伝えられずモヤモヤしたこともあったけど、 ある日別の友人たちとお茶をしているとき…」 場面が変わり、別の友人2人とお茶をしている主人公のイラストが描かれ、そのうちの一人(友人A)が「今付き合ってる人がさ〜、結構性的なことに対してガード硬いっていうか…あんまり乗り気じゃなさそうなんだよね〜」と相談を始める様子が描かれている。
友人Aが「タイミングもあることだと思うけど、こっちはやきもきするんだよね〜…」と頭を抱えている。もう一人の友人(B)は「なんか大変そ〜」と相槌を打つ。Aは「真面目に考えてよ〜」と返す。主人公は「この2人になら話してもいいかな…?なんでも話せるメンバーだし…!」と考え、AとBに「そ、その人、もしかしたらアセクシュアル寄りってこともあるのかも?」と問いかける。AとBは「え?」と不思議そうな表情を浮かべる。
主人公が身振り手振りを交えながら「ほ、ほら、恋愛感情とか性行為したいって気持ちがあまりない人も結構いるし…!だから『性行為したい』って思ってるAとは、気持ち的にズレがあるのかも…」と説明している。下のコマでは、主人公が「あ、お相手さんのセクシュアリティを勝手に想像するのも乱暴だけど…!」と付け加える。話を聞いていたAとBは黙って考え込んでいる様子で、主人公は「つ、伝わった…?」と心配そうにしている。
主人公の話を聞いて納得した様子の友人Aが「なるほどね~…今までは付き合うときに『男か女か』ってこととしか見てなかったけど…相手は自分と違うセクシュアリティかもしれないもんね…」と頷く。友人Bは「どんな相手でも価値観のすり合わせって大事だよね~」と同意する。主人公は「伝わった~!よかった~!」と喜んでいる。 しかし「え~でも、もしそうだとしたらどうしたらいいんだろ~」とAは困惑した様子。友人Bは「お相手にもAの気持ちは伝わってると思うな~無理強いするのもダメだし、Aのモヤモヤもそのままじゃつらいし…」と助言する。主人公は「う〜ん...!」と考え込んでいる。
Aが「…わかった、今度2人でちゃんと話し合ってみる!」と決意を表明する。主人公と友人Bは「がんばれ~!」と応援している。 主人公のモノローグ「世の中には、自分が知っているよりもさまざまな性のあり方がある。 恋愛相談になったとき、そういう色々な可能性を前提に考えられると、 よりよい関係を探すヒントにもなるのかも、と思った話」 背景には、別の友人から「恋愛感情はないんだけど、どう断ればいいか…」と相談される主人公の姿が描かれている。主人公は「難しいね...」と友人に寄り添う。 おわり

アセクシュアルに限らず、性的指向(好きになる対象の性別)が一致しているからといって、セックスに対する価値観や性欲の程度は必ずしも一致するわけではありません。

・月に一度程度しかしたくない
・毎日、パートナーとスキンシップがしたい
・こういうプレイはしたい/したくない などなど…

お互いを傷つけないためには、どんな相手であっても価値観の擦り合わせが必要になってきます。

「付き合っているカップルだから、もしくは結婚しているカップルだから無条件に性的な価値観は一致している」と考えてしまうことは、性暴力にも繋がりかねないため、危険です。

その上で、相手と自分のすれ違いを感じたときには「セックスしたくないってことは、恋愛感情がもうないのかな?」と決めつけてしまう前に、「もしかしたら、自分と相手のセックスに対する認識が違うかもしれない」という前提で話し合ってみることが大切かもしれません。

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マンガで見てみよう③:セルフパートナーという生き方

私にはTちゃんという6歳上のいとこがいる。 Tちゃん、34歳、かっこいい黒髪のショートヘア。私、M、28歳、カールした茶髪の長髪。10代の頃からTちゃんの「私は私らしく」という姿を見て憧れていた。母「Tちゃん、大学卒業してフリーランスになったらしいよ」10代の頃のM「カッコイイ…!」これはつい最近、正月に親戚たちと集まって久しぶりにTちゃんと再会したときの事…。
親戚のおば「そういえば△△の○○ちゃん結婚したらしいね」親戚のおじ「もうそんな歳か〜。TとMもそろそろいい人いないのか?」TとMの方に振り返るおじ。M、それを受けてむっとした顔。T「いや〜私、ひとりが楽しいんですよね〜、人と暮らすの向いてないというか」M「わ、私も…!」親戚のおばあちゃん「でもひとりだと、歳とってからが寂しいものだからねぇ」M、それを言われてぐっ…となる。
親戚の叔母「でもほら、Tちゃんは今フリーランスで活躍してるし、才能もあるし、わが道を行くって感じだったから…ねぇ?」親戚のおじ「たしかにそうだなぁ。Mはそんなことする度胸はないもんなぁ〜?」T、それを受けて「げっ…Mの方に行った…」という顔。M、「ハハハ…」と苦笑。親戚のおばB「Mちゃん、ちょっと買い出し行ってくれない?」M「は〜い」T「あ、じゃあ私も行きますよ」夜のスーパーマーケットの背景、レジ袋を持ったMとT。T「大丈夫だった?さっきの」M「え?ああ…」
M「こういうのがあるからこっち帰ってくるの嫌なんだよな〜」T「うんわかる、私もそう。やっぱまだ、「ひとり」は寂しい・不幸とか、「自分勝手・変な人」とか、ネガティブなイメージ強いんだろうね」M「でもさ〜「結婚して子どもを産む」のが「普通の幸せな人生」で、そこからはずれても大丈夫なのはTちゃんみたいな「特別な人」だけって… 結婚を選んだ人にも、選ばなかった人にも失礼な話じゃん?」T「ああ〜それね〜ほんとにそう…」
T「みんな、それぞれの幸せを追い求めればいいだけなのにね」M「うん…」とちょっと悩んでいる顔。T、それを察して「ねぇMちゃん、私はひとりで生きてて幸せだし、孤独とも思わないし、これからも結婚するつもりはない。でも、それは私が「特別だから」ってわけじゃないよ」M「 あ!ごめん!それは知ってる!」
M「でもやっぱ、「ひとりで幸せ」って感じてて、大丈夫かな?って不安にはなるよ。 「結婚したから将来の不安はなくなる」ってわけじゃないことはわかってるけど…」……T「Mちゃんさ、「セルフパートナー(self-partnered)」って知ってる?」M「なにそれ?」T「その人自身がシングルの状態で充実してて、満足してて、幸せだな〜って感じてるってこと。 「充実感を得るためにパートナーがほしいとは思っていない人」のことを言うんだって」
M「それってつまり…!」T「うん、私たちってこと!シングルで幸せに生きるロールモデルってまだまだ少ないけど、なれたらいいよね」 M、それを聞いて嬉しそうに 「Tちゃんがいるから、私も私らしくでいいんだって、昔から思えてたよ!」T「えっそうなの?ありがと~」田舎の夜道を二人くっついて歩くMとT。おわり。

なかには、「特定のパートナーを求めず、ひとりでいることに充実感や幸せを感じている」という人もいます。そのような状態は「セルフパートナー(self-partnered)」と呼ばれています。

この言葉は、俳優のエマ・ワトソンが2019年、雑誌『Vogue』に掲載されたインタビューで用いたことをきっかけに、世界的に知られるようになりました。

記事の公開後には、

「言葉遊びで現実から目をそらしているだけ」
「自己中心的(self-centered)だから相手が見つからないのでは」

といった否定的な意見も見られました。

こうした言葉の背景には、「幸せな独身なんているはずがない」という思い込みがあるのかもしれません。

しかしセルフパートナーという言葉は、まさにその思い込みを問い直す視点を持っています。

「誰かと一対一のお付き合いや結婚をしなくても、幸せに生きていける。」

そう著名人が公に語ったことで、同じ感覚を抱いていた人たちから共感の声が集まり、ポジティブな反応が広がりました。

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QPRもセルフパートナーという生き方も、どちらかが正解というわけではありません。大切なのは、「恋愛や婚姻こそが唯一の正解」という前提をほどき、それぞれの人が自分にとって心地よい関係性やライフスタイルを選べる社会をつくっていくことではないでしょうか。

アセクシュアルに対する誤解や偏見

近年、少しずつ知名度の高まってきたアセクシュアル。ドラマの登場人物などでも描かれることが増えてきました。しかしまだまだ十分に認知されているとは言えない現状の中で、多くの誤解や偏見が根強く残っています。

「アセクシュアルは恋愛感情を持たない」

アセクシュアルの人々は恋愛的な魅力を感じない場合もありますが、すべてのアセクシュアルの人々がそうであるわけではありません。恋愛的な感情を持つアセクシュアルの人も多く、そうした人々はロマンティックな関係を築くことを楽しんでいます。恋愛的な惹かれを経験しない人のことを、アロマンティック(Aロマンティック、アロマ)と呼びます。

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「アセクシュアルは病気やトラウマの結果である」

アセクシュアルであることを精神的な問題や過去のトラウマに結びつける偏見も広まっています。しかし、アセクシュアルは生まれつきの性的指向であり、病気や異常ではありません。

性的な接触を持つことや、そうした欲望を感じることを「人として成熟している」もしくは「健康的なこと」などの価値観と結びつけ、カップル関係や愛、親密な間柄においてセックスがなによりも重要なことである、とみなす規範が、まさに先述の「セクシュアルノーマティビティ」と言えるのではないでしょうか。

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「アセクシュアルは未熟で、いずれ変わる」

性的な魅力を感じないという状態を「一時的なもの」として軽視する考え方も根強く残っていますが、これも誤りです。アセクシュアルは、特定の年齢や経験に関連する一過性の現象ではなく、性的指向の1つ。もちろん、すべての人の性のあり方は時と共に変化する可能性はありますが、「今、現時点でその人がどのような性のあり方を自認しているか」を尊重することが必要です。

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「アセクシュアルの人はパートナーをほしいと思わない」

たしかにアセクシュアルの人のなかには、「誰かと交際したい/パートナー関係を築きたい」と思わない人もいますが、かといってアセクシュアルの人すべてがパートナーを望まないというわけではありません。

実際に、性的な関係を介さずにパートナーシップを築いている人、婚姻関係を結んでいる人などさまざまです。前章で紹介したクィアプラトニック・リレーションシップのように、恋愛・性的な関わりを前提としない形の深い絆を大切にしている人もいます。

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マンガで見てみよう④:ラベリングの意味

私は以前、とある男性と付き合っていました。ですが、私はハグをしたり、キスをしたり、それ以上の行為をすることが嫌でした。
それを彼に伝えましたが、その上で彼から嫌な行為を強要されることが多く、結局彼とはお別れをしました。主人公、しばらくしてベランダで物思いにふけっている。「もしかしたら自分はAセクシュアルなの?でも、ただ元彼との経験がトラウマになっているだけかもしれない…」
自分っていったいなんなんだろう...でも、こんな悩みを誰かに話しても受け入れてもらえないかもしれないな。恋人と「あたりまえ」なこともできないなんて…。そんなふうに自分の性のあり方に悩んでいたある日、「自分はAセクシュアルだ」とカミングアウトしてくれた友人がいました。
彼女は海外から日本に来ていた人で、自分のセクシュアリティについてとてもオープンでした。自分の経験やセクシュアリティを共有してくれる…。
そんな彼女を見て、私も彼女に、自分が思っていることや感じていることを話してみようと思いました。それからしばらくして…「この前、元彼と別れたって話したじゃん、実はその時からさ…」とその友人に話してみる主人公。
喫茶店にて。私が話し終わった後、「そうなんだ、私もその気持ち、わかるよ。話してくれてありがとう」彼女はそう言ってくれました。
主人公「そっか。私には、こうやって近いセクシュアリティの人と話すことが必要だったのかも。 私はこれでいいんだ」話を聞いてくれた友人には感謝しかありません。自分に自信を持てたような気持ちになりました。
そして先日、Aセクシュアルと自認して初めてのプライドパレードに、私と同じクィアな友達と一緒に参加してきました。Aセクシュアルのフラッグを身につけて、顔にAセクシュアルのマークであるトランプのエースを書いて、プライドに参加している主人公。隣にはレインボーフラッグを掲げている友人)
その日は、今まで生きてきた中で一番と言っていいほど、自分らしくいられた日で、自分のことを誇りに思えたし、本当に楽しい一日でした。主人公「生まれてからずっと社会の「当たり前」を浴びてきて、その「当たり前」ができない自分に、ずっと自信が持てずにいたのかも」
主人公「だから、私は自分のアイデンティティを「これでいいんだ」と受け入れることができなかったんだ…。自分のアイデンティティを受け入れるためには、きっと自信が必要なんだろうな。プライドって、そういうことなのかも」と手に持ったAセクシュアルのフラッグを見つめながら思う。
Aセクシュアルと自認してから、より大変なことはまだまだあるし、無意識のうちに傷つけられることも多く、悔しい、悲しい思いをすることもたくさんあります。また、なにかに自分をラベリングすること自体、「なぜ必要なの?」「良くないことでは?」と思う人も多いかもしれません。
でも、私にとってAセクシュアルであるというラベルは、「私は私らしくいていいんだ」と感じられる、とても大切なものです。皆さんにも、「自分に自信を持てたプライド」はありますか?ぜひコメントで教えて下さいね!おわり

アセクシュアルのように、「LGBTQ+」に頭文字が含まれないセクシュアリティをもつ人がカミングアウトをすると

「ラベルを貼ることは多様性に反するのでは?」
「わざわざ名前をつけなくてもいいんじゃない?」

といった反応をされることも、残念ながら少なくありません。

たしかに、特定のラベルを使うことで、そこからセクシュアリティの多様さや流動性がこぼれ落ちてしまう可能性があることは事実です。また、「あえてラベルを使わないことが心地よい」と感じている人々もいます。

しかし、まだまだ異性愛が前提とされがちな社会において、「自分はこれでいいんだ」という安心感を得たり、似たような経験を持つ仲間と繋がるきっかけになるという点で、ラベリングという行為がお守りのような役割を果たすこともあります。

ラベルを必要としている人が存在し、ラベリングという行為に意味があることには変わりありません。一方で、アイデンティティについて個人が望むままに、曖昧さをそのままにしておいてもいいはずです。どちらの選択も、等しく尊重されるべきものなのではないでしょうか。

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まとめ

私たちが生きる社会はまだまだ性愛を重要視する風潮が根強く、また性的な惹かれや恋愛的な惹かれを一括りのものとして捉えられる場面も多くあります。

そんな中で誤解や偏見の言葉をかけられたり、自身で「自分は何かがおかしいのではないか」と悩んだりしてしまうアセクシュアルの方もまだまだ多く存在します。

しかし、性的な惹かれを経験するか/しないかによって、誰かの人間性を評価することはできません。

まだまだ認知度の低いアセクシュアルについて、より多くの人が正しい知識を学ぶことによって、誰もが自分らしく生きられる社会につながっていくのではないでしょうか。

パレットークでは、アセクシュアルの方の体験談を随時募集しています。こちらのフォームよりお寄せください。

参考

  • https://www.asexuality.org/?q=general.html
  • 三宅大二郎 ・今徳はる香・神林麻衣・中村健、2024『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』(明石書店)
  • 松浦優、2020「アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ(Sexualnormativity)概念の理論的意義と日本社会への適用可能性」西日本社会学会年報、18: 89-101(https://elizabethbrake.com/amatonormativity/)。