ノンバイナリーとは?従来の 「男か女のどちらか」に当てはまらない性のあり方について

はじめに知っておきたいノンバイナリーの基礎知識

皆さんは、ノンバイナリーという言葉を知っていますか?

ノンバイナリーとは、「男・女という従来の二元的な枠組みに当てはまらない性自認」を指します。とはいえ、この文言を聞いただけではピンとこない方も多いかもしれません。

パレットークではノンバイナリーについてマンガで発信することも多いですが、今回はあらためて「ノンバイナリーってどんな性のあり方のこと?」ということについてまとめていきたいと思います。

パレットークではノンバイナリーについてマンガで発信することも多いですが、今回はあらためて「ノンバイナリーってどんな性のあり方のこと?」ということについてまとめていきたいと思います。

ノンバイナリーの定義

「ノンバイナリー(Non-Binary)」とは、男女という2つの枠組みにあてはまらない性自認(ジェンダー・アイデンティティ)のことを指します。

「ノンバイナリー」とひとくちに言っても、

  • 自身の性のあり方をどう認識しているのか
  • どのような装いをするのか
  • 医療措置を必要とするのか

などは人それぞれです。「ノンバイナリーだからこうでなくてはいけない」という決まりはありません。

性別二元論(ジェンダー・バイナリー)とノンバイナリーの関係

ノンバイナリーとは「男/女という二元的な性別の枠組みに当てはまらない性のあり方」のこと。とはいえ、この説明だけではピンとこない人も多いかもしれません。

この性のあり方を理解するうえで重要なのが「性別二元論(ジェンダー・バイナリー)」です。

性別二元論は男女二元論とも呼ばれ、「性別は“男”か“女”のどちらかである」という考え方のことです。そもそも「バイナリー(binary)」とは、「2つの項を持つ」という意味の英単語です。ジェンダーに関しては「男女という2つの性別だけを前提にする」という意味で使われます。

私たちの生きる社会は、この性別二元論に基づいてさまざまな法律や制度、慣習なども作られています。たとえば、生まれたときに「男女のどちらか」に振り分けられること。これも、この男女二元論を前提としています。

そして、ノンバイナリーとはこの既存の男女二元論には当てはまらない性自認を持つ性のあり方のこと。この男女二元論の前提が根強い社会では、その性別の枠組みに当てはまらないノンバイナリーの人たちは、社会の中でしばしば「いないこと」にされてしまいます。

トランスジェンダーやXジェンダーとの違い

ノンバイナリーという性のあり方について読んでいて、「トランスジェンダーやXジェンダーとの違いはなんだろう?」と思った方もいるかもしれません。

「生まれたときに割り当てられた性別とは異なる性のあり方で生きる/生きようとする人」という意味では、ノンバイナリーも広義のトランスジェンダーと捉えられます。

しかし狭義のトランスジェンダーはほとんどの場合、性別二元論を前提としています。たとえば、トランスジェンダー男性は出生時に割り当てられた性別は女性ですが、男性として生きる/生きようとする人のこと。あくまで彼らは男性です。逆に、トランスジェンダー女性は出生時に割り当てられた性別は男性ですが、女性として生きる/生きようとする人のことなので、彼女たちは女性です。

どちらも性自認が男女のどちらかとなるので、ノンバイナリーの「男女のどちらでもない」という性自認とは異なります。

最近はXジェンダーという性のあり方も少しずつ知られてきました。パレットークでもこれまでXジェンダーに関するマンガを発信してきましたが、実はこのXジェンダーは日本語独自の表現で、ノンバイナリーと重なる部分もありつつ、完全に同じ意味というわけではありません。

Xジェンダーは、

  • 両性 (自分は男女のどちらでもあると感じる)
  • 中性(自分は男女のまんなかであると感じる)
  • 無性(自分に性別はないと感じる)
  • 不定性(性自認が定まっていない)

などにわけることができ、Xジェンダーとノンバイナリーは「既存の男女の枠には当てはまらない」という意味で共通点があります。しかし、たとえばXジェンダーの両性と中性は「男女」という枠組みを前提として捉えられる場合が多いので、その点でノンバイナリーとは異なっています。

ノンバイナリーは、「性のあり方を性別二元論で捉えない」という点がポイントだと言えるかもしれません。

とはいえ、Xジェンダーの捉え方が様々であるのと同様に、ノンバイナリーの捉え方も様々で、人によってどの名称や定義がしっくりくるかは異なります。ノンバイナリーの人であっても、「男女のどちらでもある」「中間である」と感じる人はいますし、身体への違和感を持ち医療措置を必要とする人もいれば、そうではない人もいます。

大切なのはどんな性のあり方を持っていても、相手のことを勝手に決めつけずに尊重することなのではないでしょうか。

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マンガで見てみよう①:社会で想定されにくい性のあり方

クラスにて、マークシートを記入している主人公。眼の前には「男」「女」のみの性別欄がある。教師「みんな、ちゃんと『女』の方にチェックするんだよ 男子いる?いるわけないよね〜」
生徒たち、教師の言葉を聞いて笑う「いないし〜!」「あはははは!」それを無表情のまま聞いている主人公。
主人公の独白。私の性自認はノンバイナリーだ。
ショートヘアで少し悩んでいそうな表情の生徒。性自認の悩みを話してくれたあの子も…。
バスケットボールをしているショートヘアでメガネの生徒。カミングアウトしてくれた先輩も…。
授業を聞いている生徒の後ろ姿。SNSのプロフィールに「they、them」と書いていたあの子も…。
私みたいに、男女どちらにも当てはまらないと感じているかもしれない。自分の性自認が定まっていないかもしれない。自分のことを女子じゃないと、感じているかもしれない。
ここは女子校だけど、ここにいる皆が全員、性自認が女性だなんて、そんなこと言い切れないのに。どうして先生、ふざけてそんなこと言うんだろ…。

ノンバイナリーという性のあり方が少しずつ知られるようになったのはここ数年のこと。「男女のどちらでもない」というジェンダー・アイデンティティはまだまだ十分に認知されているとは言えません。

最近でこそ、アンケートフォームなどで「男女」以外の性別を選べるものも増えてきましたが、漫画で描かれているように、ほとんどがまだまだ「男女」を前提としているものばかりです。

このように世の中のシステムや人々の認識は、今も性別二元論を前提としている場合が多くあるので、「男女どちらでもない」と感じている人がどちらかに振りわけられてしまい、傷ついてしまうケースは少なくないのが現状です。

マンガで見てみよう②:ノンバイナリーとファッション

主人公の三つ編みの人物が、考え込むように上を向いている。その上には、ドレスを着た人物と、短パンとTシャツを着た人物がいる。これはノンバイナリーの私が、自分自身のスタイルについて改めて考えてみた話です。私はノンバイナリーを自認していますが、『自分がしっくりくるスタイル』というのは、同じような性のあり方を持つ人同士でも、さまざまだと思います。
そんな私が一番『自分らしい』と感じる服装は…ロリータファッション!町中を自信を持った表情で歩いているロリータ服姿の主人公。ロリータの甘くて華やかな世界に身を包まれると、心が自由になって、街を歩くたびに『自分はこれでいい』と感じられます。
自室でパソコンを開いている主人公。そんな私が先日、ノンバイナリー限定のオンラインコミュニティに参加したときのことです。同じように既存の男女の枠にとらわれない人たちと、繋がれる場所だと思い、わくわくしながら自己紹介を投稿しました。笑顔で文章を打っている主人公。
チャットツールにてメッセージを送る主人公。「ノンバイナリーで、ロリータファッションが好きです!普段はこんな感じで過ごしてます」というメッセージと、ロリータ服を着ている自分の写真を添えている。「かわいい!」「素敵ですね!」というコメントが届く。嬉しいコメントもいただきましたが、あるユーザーからこんなことを言われました。
チャット欄のあるユーザーからのメッセージ「ノンバイナリーなのに女性の格好をするの?それって、結局は女性寄りってことなんじゃない?」それを見て困り顔で言葉を失ってしまう主人公。
たしかに「ノンバイナリー」と聞いて、「自分の性が男性、女性の枠気味にあてはまらない人…」「つまり『中性的』ってこと?」と思う人も多いと思いますし、実際、中性的なスタイルを選ぶノンバイナリーの方もたくさんいます。髪が短くボディラインを隠すような服を着ている人、ベリーショートの人、髪が長いが男性か女性かわかりづらい人のイラスト。
でもそれは、「ノンバイナリーなら中性的なスタイルをするべき」につながるわけではないと思います。たしかに、私が好きなロリータファッションは社会の中で、いわゆる「女性らしい」とされるもの。先程も書いたとおり、「ノンバイナリー=中性的」というイメージがあるのも事実です。
とくに「見た目」というものは、その人のアイデンティティを判断する材料になりやすいからこそ…。とある人を見た目からいろいろ判断しているイラスト。「男性だ」「明るい性格」「音楽が好きそう」「日本人だ」などなど。この判断にも無意識の偏見があるかもしれないけど…という注釈あり。「ミスジェンダリングをされないために、あえてその格好をしている」という人も、きっと多くいると思います。中性的な見た目の人のイラスト、「できるだけ中性的に見せたいから…」というセリフ。ミスジェンダリングとは…その人の性自認とは違う性別として扱ったり、望まない代名詞で呼んだりすること。
だけど、そもそも、ノンバイナリーと一口に言っても、そのあり方は様々です。「中性的」「ノンバイナリーだけど女性の要素が多め」「性別がない、と感じる」「男性・女性両方の要素があると感じる」「日によって揺れ動く」「性別を曖昧なままにしていたい」などなど。また、ノンバイナリーに限らず、中性的とされるファッションを選ぶ人もたくさんいます。
見た目だけではその人の性のあり方はわからないからこそ…。様々なファッションの人がいるイラスト。「○○な格好をしているから〇〇」「〇〇ならこういう振る舞いをするべき」という決めつけは、私自身、気をつけていきたいなと思っています。
画面中央にロリータファッション姿の主人公がいる。私がロリータファッションをするのは、性自認が女性だからというわけでも、女性らしく見せたいからでもありません。「ロリータファッション=女性的」という価値観がまだまだ強い世の中かもしれないけど、ノンバイナリーである私が、ただ私らしい表現として選んでいるものです。
主人公「結局、そのコミュニティは抜けてしまいましたが。お互いの性のあり方について「らしさ」を決めつけない人と一緒にいられたら…そう思って、今日もロリータ服を着てすごしています!」人々の中にロリータ服姿の主人公が歩いていくイラスト。おわり。

性別二元論は男女二元論とも言われるように、「性のあり方は男か女のどちらかである」とする考え方です。この考え方に基づいて、私たちは日常生活でも法律上でも、男女のどちらかの枠に振りわけられています。

男か女のどちらかに振りわけられるとき、その根拠となる要素は場合によって様々です。法律上は「出生時に割り当てられた性別」や「戸籍の性別」に基づいて男女のどちらかに振りわけられることが多いですが、それだけではありません。

たとえば、

  • 服装や髪型、メイクの有無
  • 声の高さや話し方、しぐさ
  • 姿勢や身体の動かし方

といった要素からも、私たちは男女のどちらかだと判断されます。日常生活においては、身分証を常に提示するわけではないので、むしろ「戸籍上の性別」よりもこうした「振る舞いや外見」などから判断される方が多いかもしれません。

その一方で「ファッションやふるまいは、必ずその人の性自認に沿って選ばれる」かというと、そんなことはありません。

  • ベリーショートの女性
  • “男性的”とされるファッションを好む女性
  • メイクを日常的にしている男性
  • 声の高い男性

がいることからもわかるように、性のあり方と外見やふるまいの間に絶対的な関係はなさそうです。

マンガの主人公はロリータファッションを楽しんでいますが、今日の社会のなかでロリータファッションはレースやフリル、華やかな色味などを含め「女性的」と振り分けられるファッションでもあります。

そのため主人公は「ノンバイナリーらしくない見た目をしている」と批判をされてしまいました。しかし、「ノンバイナリーらしい見た目」という正解があるわけではありません。

ノンバイナリーとひとくちに言っても、その性のあり方は実にさまざま。

  • 性別がないと感じる
  • 日によって揺れ動く
  • 男性・女性両方の要素があると感じる
  • 女性の要素が強めなノンバイナリー

などなど…

マンガの主人公のようにロリータを好む人もいれば、「中性的」とされるような服装に安心感を覚える人、毎日の気分によって装いを変える人もいます。

見た目だけで誰かの性別やセクシュアリティを決めつけないこと。そして自分自身に対しても「こう見せなければならない」という思い込みを手放し「自分が心地いい」と感じられる選択を大切にすること。

そうした視点が、誰もが安心して自分らしく生きられる社会につながっていくのではないでしょうか。

マンガで見てみよう③:ノンバイナリーであり、親であること

投稿者さんモノローグ「私は『ノンバイナリー』や『Xジェンダー』に近い性のあり方と感じている、3児の親です。活発な子どもたちを育てる日々は、あわただしくもありつつ…パートナーと協力しながら、楽しく過ごしています」投稿者さん「お風呂おねが〜い!」パートナー「は〜い」投稿者さんモノローグ「でも、ときどき…」家族5人で外を歩いている。
別家族のお父さんA「あ、サエちゃんママ〜!」と投稿者さんに声をかける。お父さんA「この前はありがとうございました〜」投稿者さん「いえいえ〜」と笑顔で返すけど、ほんのりモヤ…っとした気持ちがある。別日、幼稚園に息子を迎えに行く投稿者さん。「遅くなってすみませ〜ん!」保育士さん「お母さんも、この時期は大変ですよね〜」と言われて「は、はい〜」と笑顔で返すが、モヤ…とした気持ちがある。
息子を自転車の後ろに乗せながら、投稿者さんは「『お母さん』…ね」とモヤモヤした顔で考えている。投稿者さんモノローグ「ふとした場面で『ママ』『お母さん』と呼ばれることへのモヤモヤは、私自身、まだ整理の途中ではあります。UFOキャッチャーで「男」「女」と書かれた箱の近くに戻されている投稿者さん。投稿者さん「『女性、男性』っていう二元的な枠組みに戻されるような感じ…」その日の夜、子どもたちは別室で寝ている。
パソコンでブログを更新している投稿者さん「ふう…、私みたいに感じているノンバイナリーやXジェンダーの親は、きっと他にもいるんじゃないかな」投稿者さんモノローグ「私は子どもたちを大切に思っていますし、『親であることを』否定したいわけではありません。
ブログ書いてるの? 先寝るね〜 投稿者さんモノローグ「『ノンバイナリーとして生きる親』という私の発信が、ひとつの生活のサンプルとして、だれかの安心につながったらいいな。そう思って、日々のモヤモヤや気づきを今日もブログに綴っています」パートナー「ブログ書いてるの?先寝るね〜」投稿者さん「うん、おやすみ〜」

年齢や立場、だれかと築いている関係性にかかわらず、性のあり方はとても多様なもの。ですが、社会に浸透している考え方によってその存在を見えにくくされてしまっている人たちは多くいます。

なかでも子どもを育てているノンバイナリーの親たちは、

  • 二元論に基づいた社会的期待:「子の親は女性(母親)か男性(父親)だ」という根強い思い込み
  • 言語上の制限:「お母さん/お父さん」「ママ/パパ」のように、性別と結び付けられた呼称が一般的

などによって、その存在を「いないこと」にされてしまいがちです。

「〇〇くんのお母さん」「△△ちゃんパパ」

のように、無意識に相手の性別を限定する呼び方を使っている方も多いのではないでしょうか。

相手の性自認がわからない場合は「親御さん」や「保護者の方」など性別を決めつけない呼び方を選んだり、相手の名前で呼ぶことをを意識してみるとよいかもしれません。

マンガで見てみよう④:ノンバイナリーと呼び名

投稿主モノローグ「これはノンバイナリーの自分が、アルバイト先で経験した嬉しかったエピソードです。学生時代、性のあり方に悩んでいた自分は、 身体への違和感や人付き合いなどが原因でうつを経験…」
投稿主モノローグ「療養期間を経て、やっと社会復帰ができる段階まで回復したので、 フリーターとしてアルバイトを始めることに決めました」カフェのテーブル席に「アルバイト募集中!時給〇〇円、詳細は店員まで!」というスタンドが置いてある。投稿主モノローグ「応募したのは…自身もお客さんとしてよく通っていたとあるカフェ!」
投稿主モノローグ「そのカフェを運営する企業は、多様なあり方を尊重するスタンスをいつも示していて…」「売上の一部は〇〇に寄付されます」というメッセージで店内でクッキーを売っている、SNSで「今月はプライド月間です!カフェ△口では、結婚の自由をすべての人に…」という投稿をしている。投稿主モノローグ「『いろんな人がいることを前提にお店をやっていることが伝わってくる… 素敵だな〜…』と、以前から思っていました」
投稿主モノローグ「そんな場所ということもあり、応募するときから、『 性のあり方はオープンにしていこう』と決めていた自分は…勇気を出して、面接でノンバイナリーであることをカミングアウト」面接で「ノンバイナリーという、男性・女性の枠に当てはまらないあり方で生きていること」「ここなら自分らしくいられると思ったこと」を話している投稿主。
投稿主モノローグ「嬉しいことに、結果は採用!」やった〜!と喜ぶ投稿主。投稿主モノローグ「 初出勤を控え、わくわくする気持ちもありましたが…」初出勤日、自転車に乗りながら少し浮かない顔の投稿主。
投稿主「学生時代みたいに周りから拒絶されたり…『理解できないから』って距離を取られたりしないかな、ううっ…」カミングアウトしたときに「なにそれ?」「どう接すればいいか微妙だし…」という反応をされる。投稿主モノローグ「そして迎えた初出勤…」お店の前で止まる投稿主。
面接を担当した女性スタッフA「今日からよろしくお願いします!」投稿主「よろしくお願いします…!」女性スタッフA「そういえば、普段はまわりからなんて呼ばれてるの?」そう聞かれて「え〜〜っと…」と言い淀みながら「りょうこちゃん、ですかね…」としんどそうに返す投稿主。
言い淀んでいる投稿主を見た女性スタッフA、少し考えて「それなら!嫌じゃなければ、あだ名をつけるのはどうかな!お客さんに本名知られたくない人もいるから、あだ名で呼ばれてるスタッフ結構いるんだよね〜」その返しにびっくりし、嬉しくなる投稿主。
女性スタッフA「どんなあだ名にしようか?」投稿主「そうですね…!」投稿主モノローグ「今までの『ちゃん付け』にモヤモヤしていた自分にとって、しっくりくる呼び名を一緒に考えてもらえたことは、とても安心できる経験でした」投稿主「『りおち』とかどうですかね…?」女性スタッフA「 呼びやすくていい感じ!」
投稿主モノローグ「働き始めてからは、他のスタッフも当たり前のように、あだ名で呼んでくれています。 だれも自分を「変な人」を見るような目で見ませんし、腫れ物扱いもしません 」女性社員B「りおち〜」男性社員C「りおちおつかれ!」投稿主「この前みんなにカミングアウトしたときも、 さっぱり返してくれてうれしかったな…」投稿主「実は、自分はノンバイナリーというもので…」社員たち「そうなんだ!」
高齢の男性スタッフD「さっきの発言、もしかして不快だった…?」中年の女性スタッフE「こう言われたらイヤだとかあったら教えてね!」と、さり気なく気にして下さることもときどきありますが…いい意味で気をつかわれすぎないその温度感が、自分にとっては本当に心地よく感じています。スタッフたちと気楽に話している投稿主。
投稿主モノローグ「苦しい学生時代を過ごしたけど、やっと自分らしく、楽しく生きていける場所を見つけることができた。そのことを、学生のときの自分に伝えてあげたいです」店内で楽しそうに働いている投稿主。おわり。

私たちの生きる社会では、性別二元論に基づく考え方がまだまだ一般的とされているため、その枠組みにあてはまらないノンバイナリーやXジェンダーの人たちの多くは、子育て以外の場面でも、自分の性自認とは異なる性別で扱われることが少なくありません。

このように相手の性自認と異なる性別で呼んだり扱ったりする行為はミスジェンダリングと呼ばれ、これが日常的に繰り返されると、精神の健康や社会生活を営む能力に悪影響を及ぼすとも言われています。

日本語では「彼女」や「彼」などの代名詞を省略することが多いので「代名詞で相手のアイデンティティを否定してしまう可能性」について意識することは少ないかもしれません。

しかし、誰かの性のあり方を否定しないために気をつけたいポイントは、日本語でもたくさんあります。

たとえば…

  • 彼女さん/彼氏さん→ パートナー、恋人、お相手
  • あちらの女性/男性→ メガネをかけた方、白いTシャツの方
  • 〇〇ちゃん/△△くん→ さん付け、呼び捨てで呼ぶ

「本人がどう呼ばれたいのか」を確認することができない場合でも、こうした相手の性別を限定しない言葉づかいを意識的に使っていくことで、意図しないミスジェンダリングを防ぐことにつながります。

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ノンバイナリーに関するよくある誤解と偏見

より深くノンバイナリーについて理解を深めるために、ノンバイナリーに対するよくある誤解や偏見を見ていきましょう。

「結局どっちか(男か女)なんでしょ?」

ノンバイナリーの人に対して最も多い誤解のひとつが、「結局は男か女のどちらかに当てはまるはず」という見方です。

私たちの社会は、性別を「男性か女性か」という二分法で捉える仕組みに基づいてきました。そのため「2つの枠に収まらない」という感覚が理解されにくいのです。

しかし、ノンバイナリーは「中間」や「どちらでもない」といった単純な分類ではなく、男女の二項対立を前提としない多様なあり方を含んでいます。つまり「男か女か」という問いそのものがノンバイナリーにとっては的外れなのです。

こうした誤解は「枠にはめる」圧力となり、当事者の尊厳を傷つける言動ですので、注意が必要です。

「ただの流行/一時的な気持ちでしょ?」

「ノンバイナリーは最近できた言葉だから、流行や一時的なブームにすぎない」と捉えられる場面もまだまだ多くあります。しかし、ノンバイナリーというあり方自体は近年突然生まれたものではなく、歴史的にも文化的にもさまざまな社会に存在してきました。

そもそも性のあり方は流動的で、移り変わる可能性は誰にとってもあります。しかしだからといって、誰かの性のあり方を「一時的」と決めつけることは、その人の自己認識を否定する行為にあたり、とても傷つけるもの。

ノンバイナリーという性自認は、たしかに存在し、認められるべき性のあり方なのです。

「はっきりしていない=優柔不断ってこと?」

ノンバイナリーの人に対して「男でも女でもないなんて、はっきりしていなくて優柔不断なのでは?」という見方をされることがあります。

しかし、これは大きな誤解です。ノンバイナリーは「決められない」のではなく「どちらにも当てはまらない」という明確な自己認識に基づいています。

私たちの生きる社会は「男か女か」を前提としているので、「決断を避けている」ように捉えられることもあるかもしれませんが、むしろ自分自身のアイデンティティを「あたりまえ」に委ねない姿勢は、非常に強い意志の表れとも言えるのではないでしょうか。

「それで、男女どっちを好きになるの?」

ノンバイナリーは性自認、つまり「自分をどう認識するか」に関わる概念です。

しかしまだまだ性のあり方について理解が進んでいない社会では、「同性愛なの?異性愛なの?」といった恋愛対象や性的指向と混同されがちです。

実際には、ノンバイナリーを自認する人のあいだでも様々な性的指向・恋愛的指向を持つ人がおり、それぞれがたしかな性のあり方です。

性自認(ノンバイナリーかどうか)と性的指向(誰を好きになるか)は、性のあり方の異なる側面に関わっているので、「自分をどう認識するか」と「誰に惹かれるか」をわけて考える必要があります。

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「〇〇な見た目の人は、ノンバイナリーじゃないのでは?」

「女性は女性的な格好をするもの、男性は男性的な格好をするもの」といった性別二元論に基づく価値観が根強く残っていることもあり、ノンバイナリーの人は周囲から見た目やふるまいをとりあげて、

「ノンバイナリーっぽくないね」
「女性/男性寄りってこと?」

といった言葉を向けられてしまうことがあります。

自分の性のあり方と、自分がどんな服装をするかには結びつきがある、と感じる人も多いと思います。また、普段出会う人の性のあり方をその人がどのようなファッションをしているかで推測することもあるのではないでしょうか。

その一方で、よく考えてみると、「ファッションやふるまいは、必ずその人の性自認に沿って選ばれる」かというとそんなことはありません。

  • ベリーショートの女性
  • “男性的”とされるファッションを好む女性
  • メイクを日常的にしている男性
  • 声の高い男性

このように、男女のなかにもさまざまな人とからもわかるように、性のあり方と外見やふるまいの間に絶対的な関係はなさそうです。

見た目だけで誰かの性別やセクシュアリティを決めつけないこと。そして自分自身に対しても「こう見せなければならない」という思い込みを手放し「自分が心地いい」と感じられる選択を大切にすること。

そうした視点が、誰もが安心して自分らしく生きられる社会につながっていくのではないでしょうか。

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知ることで可視化される性の多様性

比較的新しい性のあり方とされるノンバイナリーですが、「ノンバイナリーの人が最近になって突然世界に現れた」ということではもちろんありません。ノンバイナリーという性のあり方を持つ人はずっと昔からいましたが、その名称が最近知られるようになり、その存在が可視化されてきたというだけのことです。

よく耳に新しいセクシュアリティやジェンダー・アイデンティティの名前が出てくると「カテゴリーを増やすだけでは、かえって人々の性のあり方を限定してしまうのではないか?」という疑問が投げかけられることがあります。もしくは「セクシュアリティやジェンダー・アイデンティティに細かく名前を付けていくことに意味があるの?」という疑問もあると思います。

しかし今の社会は、性別二元論や異性愛などが当然視され、当たり前にシステムや人々の認識の前提となっています。そんな中で、「既存の性のあり方に当てはまらない人々」は、不可視化され「いないこと」にされがちです。

また社会の中であまりにも当たり前とされてきた性のあり方の中で、「自分は普通とは違っている」「自分の存在はなんなんだろう」と言語化できずに苦しんでいる人はたくさんいます。そして、自分の性のあり方としっくりくる名前を見つけて安心したり、同じ性のあり方を持つ仲間と出会って安心したり、逆に「自分とは微妙に違うな」という感覚からさらに自分の性のあり方が言語化できる人もいます。

このような経験は「意味がない」と軽視していいことではありません。どんな性のあり方を持っていようと、その人の存在をないことにしない/抑圧しないためには、名前が知られる必要があるのです。

大切なのは、「名前を増やすこと/見つけること」それ自体ではなく、

  • 知ることで自分の性のあり方を見つめるきっかけになる
  • 自分の当たり前を誰かに押しつけないようになる
  • 社会で「ないこと」にされている人を減らしていく

ということなのではないでしょうか。

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まとめ

性のあり方は今も昔も多様でしたが、それが知られるようになったのは最近のこと。そしてまだまだ「当たり前」の性のあり方につらい思いをしている人は多くいます。

性別二元論を前提としたジェンダー・アイデンティティを持っている人にとって、「ノンバイナリーであること」の感覚を完全に理解することは難しいかもしれませんが、理解しなければその人のことを尊重できないというわけではありません。そして「理解できない」ということは「知らなくてもいい」と同じでもありません。

ノンバイナリーという性のあり方を知る人が増えることによって、世の中の当たり前を問い直し、誰かの存在をいないことにしないシステムへアップデートしていく必要があるのではないでしょうか。

パレットークでは、ノンバイナリーの方の体験談を随時募集しています。フォームよりお寄せください。

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